香焼炭鉱・香焼町関連

2014年01月14日 00:42

撮影日:2013(H25).12.14

『炭鉱の町がソーラー発電の町に変わっていく』

香焼における石炭採掘は農民のタヌキ堀に始まり、1874(明治7)年香焼炭鉱として組織的な採炭を開始。
その後90年間、幾度の操業休止や経営者の交代を経ながらも日本のエネルギーを支え、1964(昭和39)年香焼炭鉱はその役割を終えた。

昨年、日経トレンディネットのライターさんより、私の過去記事の写真を貸して欲しいとの依頼があり、安保にメガソーラー発電所が出来たことを知った。

日経トレンディネットの記事は → こちら!

香焼ソーラー1


多くの男達が海底深く石炭を掘り出していた時代とは異なり、広大な土地に敷き詰められた発電パネルは無人でエネルギーを生みだしている。
この地に炭鉱があったことは、パネルの足元に溜まった石炭粒が知るのみである。
香焼ソーラー2


香焼、横島、高島、中ノ島、端島・・・すべて石炭で栄えた島。
高島でもメガソーラー発電が行われている。石炭の島が自然エネルギーの島に生まれ変わっていく不思議な取り合わせ。
香焼ソーラー3


今年一発目の記事もこんな感じで始まりました。
拙いブログですが今年もよろしくお願い致します!!



2010年12月09日 19:04

撮影日:2010(H22).12.05

『変わらぬ姿に安堵する』

本村に貯炭場や埠頭が整備されたもっと昔には、コークス工場がありました。

そのコークス工場の煙突が1本残っていることは以前紹介していますが、香焼を訪れた際にはまずこの煙突が無事であるか、必ず確認することにしています。

resize0295


今回も無事だったので安心、安心。

東京スカイツリーよりも、煉瓦煙突くんの方が僕は好きです!

煙突くんの歴史については、こちらの過去記事 → 煉瓦煙突 と 続・煉瓦煙突

resize0294
                             
新しいネタでもないので、写真の色とトラックでごまかしました。


話は飛びますが、大河ドラマ「龍馬伝」の終了に合わせるかのように、小曽根乾堂が造った「旧浪平小学校」の解体が始まったようです。
リンクさせて頂いてる「ながさき遠めがね」様が紹介されていました。

「あの時見ておけば良かった・・・。」と後で後悔しないように。

「久しぶり通ったら無くなっとる・・・。」そんなことも珍しくない時代です。




2010年12月07日 23:55

撮影日:2010(H22).12.05

『石炭貨物船が停泊していた証』

隆盛を極めた香焼炭鉱。

当時、石炭の積み出しを行うために、選炭場のあった安保地区から約1km離れたここ本村に、貯炭場と1,500t級石炭貨物船が接岸できる専用港湾が建設されました。

resize0279


のっけから「隆盛を極めた!」と言ってはみても、今の香焼に炭鉱縁の施設は全くと言ってよいほど残っていません。

今日はプレジャーボートが係留され、巨大なコンクリートブロックが造られる静かな港に、当時の遺物であろうものが残っていたので記載します。

続きを読む

2010年11月02日 20:45

撮影日:2009(H21).11

「昨日の出来事のようでもあり、遠い昔のようにも感じる・・・。」

暦は11月、秋が深まるなかでいろんなイベントが各地で行われています。
ちょっとネット検索するだけで、「ハーレーフェスティバル」「唐津くんち」「佐賀バルーンフェスティバル」等々・・・。
週末の暇つぶしには事欠かないようです。

aboap


夜な夜な溜まりに溜まった写真データを DVDにバックアップしています。
ついついデータを覗いてしまうので、一向にはかどりません。

去年の11月は・・・?
安保アパートの解体が始まった月でした。

ついこないだ!と言っても9月末ですが、伊王島と香焼を繋ぐ「伊王島大橋(仮称)」の橋げたが全て架かったと騒いでいたことを思うと、アパートの解体なんてずっと昔の出来事のようにも感じられます。

そろそろ香焼にも出かけてみようかな・・・。





2010年02月28日 09:38

撮影:2009(H21).02.01
撮影:2010(H22).02.21

『半世紀を越える役割を終えて・・・』

ちょうど一年前も、安保には春を想わせる柔らかな陽射しと、心地よい風が吹いていました。

でも、ただ一つ、去年と大きく違っていたのは、大好きな安保アパートの風景が、ファインダーの中から消えていたことでした。

20100221

さすがに築50年を越え、建物の老朽化も進んでいたと思いますが、昨年は入居されている方もあり、洗濯物が風に揺れ、部屋の中からは子供の声や、テレビの音が漏れ聞こえていました。

春にはポピーやチューリップなど色鮮やかな花が咲き、夏は焼けるような陽射しの中でキラキラ輝く海を眺め、冬は荒涼とした大地に冷たい風を感じる。
そんな風景の中にある安保アパートが、私はとても好きでした。

炭鉱が閉山しても、多くの人達の生活を守り続けた「安保アパート」。
本当にご苦労さまでした。

20090201


安保アパートの歴史に敬意を表し、香焼炭鉱の年表に加筆しておきます。

1700年(元禄13)  農民の副業として始まる
1830年(天保初年) 深堀の鍛冶用炭として専業小営業が始まる
1834年(天保5)    塩田用の需要増により武士支配
1861年(文久1)    藩営化が現れ「御上山」
1874年(M7)       深堀村 峯真興が安保に香焼炭鉱社開業
1883年(M16)      峯真興から東京の島田慶助に香焼炭鉱の所有が移る。
1894年(M27)      島田慶助から小出辰造、松尾福三郎に所有が移る。
                横島鉱区を三菱合資会社買収し開発
1897年(M30)      川島長五郎ら3名共同の「川田社」設立
1899年(M32)      大阪舎密株式会社(大阪ガスの前身)、香焼炭鉱買収。
1902年(M35)      横島炭鉱廃鉱
1904年(M37)      香焼炭鉱廃鉱(陸上炭の採掘終了)、操業停止
                川田社により採掘跡の残柱採掘
1907年(M40)      大阪舎密による海岸地区ボーリング(三菱に委託)調査
1909年(M42)      香焼炭鉱操業再開、海底の7尺層に着炭
1918年(T 7)       大阪舎密㈱横島掘進
1922年(T11)      香焼炭鉱横島4尺層に着炭
1924年(T13)      香焼炭鉱休止
1926年(T15)      香焼炭鉱中止
1938年(S13)      川南工業香焼炭鉱鉱業権買収、香焼炭鉱再開
1950年(S25)      川南鉱業部川南鉱山㈱と改称
1951年(S26)      川南鉱業㈱香焼鉱業と改称(九州採炭系となり字竹崎に新鉱開発)
1954年(S29)      字竹崎の新鉱(第3坑)着炭
1955年(S30)      安保坑閉鎖(第1・2坑)
1959年(S34)      香焼炭鉱ビルド鉱指定
1960年(S35)    香焼炭鉱最盛期(中層アパート、病院、劇場建設、安保海岸埋立)
1964年(S39)      香焼炭鉱閉山
2010年(H22)       香焼炭鉱安保アパート解体 

abo

続きを読む

最新コメント
月別アーカイブ
記事検索
プロフィール

ちび太郎

QRコード
QRコード
ランキング
人気ブログランキングへ

にほんブログ村 地域生活(街) 九州ブログ 長崎県情報へ
にほんブログ村

・本HPの写真・図等の転載・転用等は禁止しております。

・メールでの連絡は下記へどうぞ! 
chibisaruku@yahoo.co.jp



  • ライブドアブログ