教会群とキリスト教関連

2020年10月06日 00:01

撮影日:2020(R2).09.21

『今は静かな高島カトリック教会』


古い案内板が教会へ続く小路を教えてくれます。
教会下の廃屋は撤去され、更地になっていました。
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1891(明治24年)年、信徒の拠金により伊王島の大工峰氏の手により45坪の聖堂が現在地に建立されたのが高島教会の始まり。
高島炭鉱の発展に伴い信徒数が増加し、1954(昭和29年)10月25日新聖堂を建立し、山口大司教によって祝別・献堂され、昭和31年(1956)1月10日大浦小教区から独立し高島小教区が設立された。
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高島炭鉱の閉山に伴い信徒数の減少で、2004年4月から馬込小教区の巡回教会となっています。
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Ecclesia SS. Cordis Jesu 1959
保護の聖人:至聖なるイエスのみ心 1959年
祝別の年と差異があります、どのような関係性を示すものでしょうか?
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火の見櫓のような鐘楼に取り付けてあった鐘は、教会入り口に下されています。
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有名な浦上天主堂のアンゼラスの鐘は1925(大正14年)年 に設置されていますが、高島教会の鐘は更に古く1891(明治24年)年にフランスから取り寄せた歴史あるものです。
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ルルドもありました。
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高島信徒の先祖は宝暦年間外海の樫山地区から、迫害の嵐を避けて逃れてきたキリシタンであったそうです。
炭鉱閉山により信徒数は激減しますが、今も教会は大切に管理されていました。
島に響く鐘の音、小路を上がってくる大勢の信徒の姿に思いを馳せました。


2017年10月06日 00:08

『手書きとは信じがたい天井の木目模様』

離島の教会の多くは、海の側や、海を見下ろす場所に在るものが多い。
黒島天主堂は島の内陸部に在る。
島に点在する集落から、信者が集いやすいよう中心部に建てられた。
黒崎天主堂1


献堂当時、島には2,000人余の人が暮らしていたそうだが、今は400人程度。
その8割はカトリック信者。
黒島天主堂は献堂時より神父様が途切れることなく赴任され、ミサは毎日執り行われている。

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2016年12月24日 23:30

『Merry Christmas!皆様に沢山の幸せが訪れますように!』

今村天主堂


小教区名     大天使聖ミカエル
宣教開始年月   1879年(明治12年)
教会献堂年月日  1913年(大正2年)12月9日
献堂司式司教   コンバス長崎司教
聖堂敷地面積   172坪
設計施工      鉄川与助
献堂時信徒総数   1,177人
洋風小屋組み 木及びレンガ造り 重層屋根構成
三廊式 四分割リブ・ヴォールト天井
面積  1階573.57㎡ 2階81.32㎡
塔屋総高  22.49m
レンガ  迎島産
木材   高良山産
瓦  城島産
石材  浮羽 長崎産
ステンドグラス  フランス製


2016年07月23日 06:55

撮影日:2016(H28).07.17

『リゾート地にある荘厳な天主堂』

伊王島は、畔の岩這えや馬込教会がある「沖之島」と、やすらぎ伊王島や灯台がある「伊王島」の二つの島から成っています。
ただ、この二つの島の間隔は狭く、現在3ヶ所に橋が架けられているので、陸続きのように不自由なく往来が出来ます。

沖之島にあるゴシック様式の荘厳な教会が「馬込教会」。陸上、海上どちらからも目にとまる、伊王島のシンボル的な建物の一つです。
正式名称は聖ミカエル天主堂ですが、馬込天主堂、沖之島教会、沖ノ島天主堂などいくつもの呼び名があります。
馬込教会1


聖ミカエル天主堂(馬込教会)は、禁教時代の1871年、馬込に信徒が建てた小聖堂を始まりとし、1884年、馬込の信徒がすべてカトリックとなったのち、1890(明治23)年にマルマン神父設計のレンガ造教会が完成。
その後台風等の被害により、1931(昭和6)年、現在の鉄筋コンクリート造の天主堂に再建されています。
馬込教会2


夜間はライトアップされ、昼間とは違った幻想的な美しさを感じることができます。
蒸し暑い夏の夜、夜の馬込教会でちょっとだけ夕涼み。

2016年02月05日 23:30

『400年前の今日、天に召された二十六人』

1597年2月5日、西坂の丘で26名のキリスト教徒が磔の刑に処せられた。
日本におけるキリスト教徒への処刑が行われた最初の日。
以後、300名を超える信者がこの西坂で殉教した。
26-1


京都・大阪から長崎まで歩き続けた26人。前日4日、彼杵から船にのせられ水路対岸の時津へ向かった。
波静かな大村湾、月が光り、岸のあちこちに漁村の灯火が瞬き、彼らを乗せた船は単調な櫓の音を響かせながら静かに水面を分けていったと祈念碑に刻まれていた。
26-3


殉教から265年後の1862年、26人は聖人の列に加えられた。
今日は26人の信者が殉教した日。
26-2


長崎教会群の世界遺産登録が延期された。 
構成遺産の価値が十分に証明されていないらしい。
どこに大きな不備があったのか?。

私が知っていることは、今も昔もそして未来へ、信者の祈りは変わらないということだけ。
ただそれだけ。

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