風景写真

2024年08月19日 14:45

撮影日:2024(R6).08.08

『人影はなく桟敷も消えた海水浴場』

シーズンの行楽地 夏
海水浴・・・市付近の海水浴場は、盛夏になると浴客で大混雑する。

「宮摺海水浴場」西彼茂木町 長崎バス 大波止より50分
白砂の美しい海水浴場
(昭和34年(1959年)5月10日 発行の「長崎への招待」初版より引用)



シーズンの行楽 夏 納涼
海水浴
 「宮摺」 西彼茂木町
長崎バスで50分。白砂の美しい海水浴場で、7月上旬から9月上旬まで。
昭和41年(1966年)7月1日 発行の「長崎への招待」第2版より引用)


2017年に開通した県道34号線立石トンネルを抜けると宮摺はすぐです。
透明度の高い海です。
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砂浜の宮摺海水浴場が見えてきました。
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バス停の名板もさびれた感じになっています。
海辺にはだれもいません。
昔は貸しボート、今は個人のレジャーボートが並んでいます。
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海の家の基礎だけが残っています。
私が10・20代の頃、つまり70年代から80年代の夏、どこの海水浴場にも桟敷がいくつも並び、それぞれに〇〇家とか、〇〇荘とか名前がついていましたね。
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足の短い折りたたみテーブルに湿っぽく砂でざらついたゴザ、潮風にあたりながらぼんやり沖を眺めて過ごした夏を思い出します。
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宮摺という地名の由来は定かではありませんが、摺とは地滑りや崖の意味があります。
集落に竈神社があるところから、神社の後方がむかし地滑りやがけ崩れなどがあった場所なのかも知れません。
宮摺から先の大崎、千々に向かっては、豪雨による道路の修復工事がいつも行われています。
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昭和53年の宮摺海水浴場の様子です。賑わっていますね。
※NBC長崎放送ユウガクに会員登録し、許可を得て画像を掲載しています。
S53 宮摺


昭和50年(1975年)の航空写真を確認すると、海に注ぐ宮摺川の両岸に桟敷が並んでいるのが確認できます。(国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスより)
1975 宮摺


昭和62年(1987年)の航空写真を確認すると、左岸の桟敷は無くなり右岸にのみ桟敷があるのが確認できます。(国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスより)
1987 宮摺


陸側から沖の瀬はひとつの岩礁のように見えますが、航空写真で確認すると複数の大きな岩礁であることが分かりますね。

次回、大崎、千々に向かいます。








2024年08月16日 17:00

撮影日:2024(R6).08.08

『昔の海水浴場めぐり・茂木立岩』

シーズンの行楽地 夏
海水浴・・・市付近の海水浴場は、盛夏になると浴客で大混雑する。

「立岩海水浴場」西彼茂木町 長崎バス 大波止より40分

(昭和34年(1959年)5月10日 発行の「長崎への招待」初版より引用)


シーズンの行楽 夏 納涼
海水浴 
「茂木立石」 西彼茂木町
長崎バスで40分。宮摺海水浴場から近く、天草を望み景観美にめぐまれている。
7月上旬から9月上旬まで。
昭和41年(1966年)7月1日 発行の「長崎への招待」第2版より引用)


現在もこの地のバス停名は「立石(=立岩)」。
「立岩」は写真右奥に写る奇岩です。
A89A8100


長崎大学附属図書館所蔵「幕末・明治期日本古写真コレクション」より。
絵葉書から茂木が避暑地であり、立岩が景勝地であったことが分かります。
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立岩
立石ともいう。しめが崎の後ろにあり、浜辺を離れて海中にある。
高く聳え立っていて、頂上に松がある。
昔は五葉松の巨木であったが、、一度枯れて、その後の生え出たのは、普通の松である。
この岩は大小二つ並んでいて、一つは大きく、数十丈はあろう。
一つはやや小さいが、この方にも上の真中に樹木がある。
盆石でも見るようで、大変珍しい。

立石を見て・・・大田南畝
またたくひあら磯波のたて岩を島このみする人にみせはや

長崎名勝図絵より引用

立岩


2021年に撮影していた名勝「立岩」。
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立岩の周辺には砂浜がないので、海水浴場はここではないかと思います。
いけす料理の料亭は数年前より休業されているようです。
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引き続き時計回りで野母半島の海岸線をドライブします。

2024年08月09日 12:44

撮影日:2024(R6).08.08

A89A8175-1


7日は立秋でしたが、秋の気配などほど遠い暑さが続いています。
皆さまお変わりなくお過ごしでしょうか。

本日は愛車(軽自動車)で80年代から90年代の曲を流しながら、時に大声で歌いながら野母崎半島をドライブしてきました。
写真もポカリスエットのCM的な感じで撮ってみましたが・・・。

昭和親父のぼやき「織田哲郎はいいねぇ!!あの夏はよかった!」がこのユーチューブを見て頂ければ伝わるのではないでしょうか(笑)



少しでも暑気払いになれば幸いです!



2024年07月01日 14:08

撮影日:2024(R6).06.30

『よろずや通りのシンボル消える』

よろずや通りと電車通りに面する右側の更地は「佐賀銀行長崎支店跡」、2023年7月に長崎市万才町6-35大樹生命長崎ビル6Fに仮移転しました。
佐賀銀行の広報には「現店舗が築50年経過と老朽化が進んでおり、現在地での店舗建て替えを前提として移転します」とあります。
今の長崎で浜ん町が好立地なのかよく分かりませんが、地域活性化に繋がる活用方法が検討されることを願っています。
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さて、左側には「メガネのコクラヤ」さんがあり、3カ月前まではよろずや通りのシンボルだった眼鏡橋を模したモニュメントがありました。
このモニュメントは2015年には「都市景観賞屋外広告部門奨励賞」にも選出され、長崎市民に愛された景色の一部だったことは言うまでもありません。
DSC04224


モニュメントは銀行の解体に伴い撤去されたようですが、ちょっと残念ですね。
写真は2009年10月3日に撮影した夜のモニュメントです。夜はネオン照明で存在感がありました。
銅座のタクシー乗り場まで続く空車タクシーの車列も懐かしい風景です。
IMG_7459


更地に何があったのかはすぐに思い出せず、帰宅後グーグルマップで確認し「佐賀銀行」だったと分かりました。視覚の記憶は自分に都合の良いことしか残っていませんね。
浜ん町周辺の狭い範囲でも「本古川通り」「よろずや通り」「春雨通り」「築町通り」「西浜通り」「思案橋通り」「銅座通り」「柳小路通り」・・・たくさんの通りがあります。
今はスマホだけで位置確認、場所案内。日常的に通りの名前を使うことは少なくなりました。
便利な世の中になりましたが、ちょっぴり寂しい気もします。

過去記事 → 内部リンク・コクラヤ

【フランス語】パリの空の下 (Sous le ciel de Paris) (日本語字幕) 

撮影日:2024(R6).06.30

『あの場所は今どうなっているのか・・・』

久しぶりに長崎市内(浜ん町)へ出かけました。
特別な用事はなく、ただウロウロしてみました。

実物のチンチン電車を使ったユニークな店構えと、美味しいトルコライスが人気だった「きっちんせいじ」
閉店したのは2017年12月。もう7年前の出来事です。
DSC04215


店構えは昔のまま、一見すると定休日かと思ってしまいそうですが、「閉店」の看板がずっと飾られたままです。
DSC04216


ふと昔なじみのお店を思い出しても閉店やお店自体が無くなっていたり・・・。
自分自身も還暦を過ぎ「そりゃそうだよね・・・」って思うけれど・・・。
楽しいけれどちょっぴり寂しい昔探しです。

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