旅行・ドライブ・イベント

2024年09月29日 23:00

撮影日:2024(R6).08.08

『軍艦島を眺めながら・・・』

高浜海水浴場、夫婦岩を過ぎ「黒浜トンネル」を抜けると黒浜町になります。
黒浜トンネルができる前は網掛岩沿いを走っていたので、時化た時は波が道路に打ち上げていました。
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「黒浜海水浴場」は昔から漁船が数隻繋留されているこじんまりとした船泊まり。
昔から近所の子供たちの海水浴場といった感じです。
沖には「軍艦島(端島)」と「中ノ島」が見えます。
長閑でゆったりとした時間を楽しむには最適な場所だと思います。

※高浜海水浴場は、駐車料金を徴収される感じだったので通過しました。

2024年09月22日 22:20

撮影日:2024(R6).08.08

『バス停は「脇岬海水浴場前」』

夏 納涼 海水浴場
「東望の浜」「ねずみ島」「福田遊園地」「川原」「時津」「宮摺」「茂木立石」「横島(諫早市)」「小江」「小白浜」「長崎水族館」「小島(高島町)「高浜」「脇岬」「柳海(大瀬戸町多以良)」「大草」「長浜(国見町神代)」

(昭和41年(1966年)7月1日 発行の「長崎への招待」第2版より引用)

当時の海水浴場と、現在タウン誌などで紹介される海水浴場では大きく違いますね。

当時から浜木綿とロングビーチで有名な脇岬海水浴場
右の緑は「樺島」です。
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脇岬海水浴場は「ウインドサーフィンのメッカ・・・」と紹介されています。
今日もサーファーがお一人います。
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バス停は「脇岬海水浴場前」。
後ろにあった浮き輪や食事を提供していたお店は潰れたようですね。
長崎(野母)半島でバス停名に「海水浴場」と名の付くものは、「脇岬海水浴場前」「高浜海水浴場前」「岳路海水浴場入口」の3か所のみです。
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景色は昔と変わりません。
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道路の渋滞、海水浴客で賑わう夏の風景はなくなりました。
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2024 夏 長崎 残す海水浴場はあと2つとなりました。



2024年09月16日 21:16

撮影日:2024(R6).08.08

『詳しく歴史を調べてみたい町 樺島』

近郊めぐり
「樺島」長崎から南へバスで1時間いくと脇岬、この脇岬から更に5分(チャッカー船)で樺島に着く。脇岬までの途中の海岸美は、野母半島県立公園の真価を高め、浜木綿も見る者の目を楽しませる

(昭和34年(1959年)5月10日 発行の「長崎への招待」初版より引用)

赤い「樺島大橋」を渡って樺島へ上陸。
樺島はフランシスコ・ザビエルが鹿児島から平戸に向かう際に立ち寄った島で、キリシタンが多く住む島だったそうです。島内には3つの教会がありましたが禁教令によりすべて取り壊され、キリスト教改宗のために樺島熊野神社が興されたと言われています。
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深い入り江の樺島港に入る目印は白い「樺島港東防波堤灯台」です。
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江戸時代中期から樺島は風待ち港として栄え、時化て出港できない場合の中継地として賑わいました。
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写真に写る集落が古町、対岸(写真手前)が新町と呼ばれます。
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風待ち港にうってつけの深い入り江になっています。
明治期以降、樺島を含む野母崎地区は、カツオ釣りとカツオ節加工、鰯漁業と鰯加工などが著しく栄えます。
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1986年(昭和61年)開通した樺島大橋、本土側と中継地点の「中島」の間227mを繋いでいます。
中島からは防波堤道路と「大漁橋」(1983年竣工)で繋がっています。正確には2つの橋を渡らないと樺島には行けませんね。
大漁橋周辺はいつも多くの釣り人が糸を垂れています。
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樺島に渡ってある「樺島港外防波堤灯台(通称・赤灯台)」と樺島大橋。
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脇岬港側にある赤灯台は「脇岬港南防波堤南灯台」です。
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築45年程度の「長崎市営樺島住宅」
子供の頃、このような集合住宅で暮らした私にとっては興味深い建物です。
毎日海を眺められるって贅沢ですよね。
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長崎バスの車両基地がある樺島。始発、終着地でもあるので橋を渡るバスをよく見かけます。
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橋の付け根、本土側(脇岬)の「祇園山公園」から眺めます。
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橋が完成して38年、私が20代の頃でした。
大々的に報道されていた記憶があります。
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樺島大橋から眺める「大漁橋」と樺島港。
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樺島大橋から眺める脇岬港と天草灘。
透き通った青い海、緑の山、青空、雲。最高の景色でした。
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写真は拡大(クリック)するとより鮮明にご覧いただけます。
大ウナギだけではなく、たくさんの歴史が隠れている町 樺島でした。

2024 夏 長崎・・・残すは2か所。月遅れですが何とか9月内に終わらせます。
今年は9月になっても秋の気配など微塵もないので夏ネタですがご勘弁願います!

樺島関係過去記事
樺島灯台→ここをクリック
樺島地下ダム→ここをクリック
榎地蔵尊→ここをクリック
うな太郎→ここをクリック

2024年08月26日 12:00

撮影日:2024(R6).08.08

『暑過ぎてだれもいない・・・?』

シーズンの行楽 夏 納涼
海水浴 
「川原」 西彼三和町
長崎バス、大波止より60分 松林の中に、大蛇の伝説で有名な川原池と海水浴場に分れ、特に海辺の蛇紋石が美しい。7月上旬から9月上旬まで。
昭和41年(1966年)7月1日 発行の「長崎への招待」第2版より引用)


蛇紋岩はかんらん岩が水を含んで変質してできた濃緑色の岩石。
川原本村海浜と川原海水浴場一帯はこの蛇紋岩の礫だけでなる円礫浜は日本でも珍しく貴重なものだそうです。
下の写真は前回記事の本村海岸、クリックして拡大すると丸い石が堆積していることが分かります。
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川原海水浴場。潮が引くと円礫が現れます。
砂と円礫が入り混じっている状態です。
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野母崎側の堤防は良型が上がる釣り場、いつも釣り人で賑わっています。
右側には区画された無料(要申請)のキャンプ場があります。
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やっと海水浴場らしい売店や遊具の貸し出しを見つけました!
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昭和50年(1975年)の航空写真を見ると10棟ほどの桟敷が並び、人気の海水浴場だったことが分かります。
(国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスより)
1975 川原


池の御前神社 海側から一の鳥居と二の鳥居
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大池側に振り返り三の鳥居と奥に社殿
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社殿は建て替えられまだ新しい。祭神は豊玉比古命、豊玉比売命。
由緒は当地の領主・河原大蔵太夫高満が正暦5年(994年)11月に愛娘阿池(おち)姫の冥福を祈念するために建立したという伝説があります。
木製の表示板は趣がありますね。
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以下、阿池姫伝説の詳細説明板
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川原大池は広さ約13ha、周囲約1.9km、最大水深約9mの県内最大の天然湖。
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海水浴場に人影はなく、子供たちの声がこだまする林間学校、臨海学校としての賑わいも遠い昔の思い出となりました。

蛇紋石の崖や大岩はここより野母側、川原木場の海岸に在るのでいつか立ち寄りたいと思います。

次回は野母崎です!


2024年08月23日 12:00

撮影日:2024(R6).08.08

『現在、西彼杵郡に属する町は?』

今日は「為石町の海岸」です。
千々町を過ぎると県道は見通しの良い二車線に変わります。お隣りの「藤田尾町」には立ち寄らず、為石町に向かいます。
メボシ崎手前から見る天草灘です。
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為石町は昭和30年(1955年)に蚊焼村、川原村、為石村の三村が合併して、長崎県西彼杵郡三和町(さんわちょう)となりました。
その後50年を経た平成17年(2005年)、三和町は長崎市に編入されたため自治体としては消滅しています。
旧三和町周辺には「三和体育館」、「三和交番」、「長崎市立三和中学校」、「三和中央病院」など「三和」の名称がある施設が今も複数残っています。
また、こことは別に昭和24年(1949年)土井の首の一部が同じ名前の三和町になっています。こちらは土井部落、上郷部落、迫部落が合併して三和町となり現在に至ります。
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中央右の白い2階建ては「為石地区公民館」、右上の白い大きな建物は「為石小学校」、左端にある大きな建物は「長崎市営須浜住宅」です。
須浜住宅は海に面し、弧を描いたモダンな構造になっています。為石漁港も隣接しています。
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為石漁港を通過し、川原本村の海岸です。
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明治期、西彼杵郡の群域は長崎市の大部分、諫早市の一部、西海市の全域をカバーする広い範囲でした。
現在、西彼杵郡は長与町、時津町のみが単独で行政を行っています。

次はお隣りの川原海水浴場です。




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