旅行・ドライブ・イベント
2025年12月17日 17:43
撮影日:2025(R7).12.06
『初めて行った浜省のコンサート・・・』
浜田省吾は1952年12月に広島県竹原市で生まれた日本のロックボーカリストであり、シンガーソングライターです。
愛称は「浜省」または「ハマショー」。
デビューは1976年、シングル『路地裏の少年』とアルバム『生まれたところを遠く離れて』を発売しました。
現在までテレビなどのメディアにはほとんど出演せず、ライブ活動を中心に多くのファンを魅了し続けています。
父親が警察官であったことから18歳までに広島県内を20回ほど転居し、その中で音楽に目覚めたのは小学4年から中学1年までを過ごした江田島での生活が原点であると語っています。またその情景は歌詞の中にも表現されています。
そんな江田島でのワンシーンが1992年に発行されたファンクラブの会誌に写真として掲載されました。
走る子供たちに自らの子供時代を重ねるように、バス停のベンチに腰掛け見つめる浜田省吾。
この写真を契機とし、廃止予定のバス停が江田島市立図書館の敷地内に保存・再現され、今は多くのファンが訪れる場所、いわゆる聖地巡礼の場所となっています。

再現されたバス停で浜省と同じポーズで写真を撮ってみました。
嬉しいことに撮影用のサングラスまで置いてあります。
サングラスをかけても丸刈りの怖いおじさんにしか見えませんね・・・。

同敷地内の展示室には、浜省ファンから寄贈された資料が数多く展示されています。
聖地巡礼をされている方にとっては感慨深い発見もあることでしょう。

記憶を辿れば、初めて浜省のコンサートに行ったのは二十歳の頃だったでしょうか、今からもう40年以上昔になりますね。
当時、長崎で開催された浜田省吾のコンサートを調べてみました。
1978年(S53)7月12日 NBCホール
1980年(S55)6月19日 長崎市公会堂
1981年(S56)10月4日 長崎市公会堂
1982年(S57)7月10日 長崎市公会堂
1983年(S58)2月18日 長崎市公会堂
1983年(S58)7月15日 長崎市公会堂
1981年、1983年(手帳に記録あり)のコンサートに行ったと思います。
記憶が定かではありませんが、1981年のコンサートは浜町の観光通りにあった三信衣料(今はなきカジュアルショップ)でタダ券を貰ったので行ってみた・・・。座席は2階部分で空席も多く、静かに座って聞いていたことを思い出します。
それでも「路地裏の少年」や「ラストショー」「悲しみは雪のように」など心に刺さる曲があり、浜省ファンになるまでに時間はかかりませんでした。


ツアータイトル「ON THE ROAD」、1982年3月~1983年2月(142公演)から始まり今も続いています。

音源はLPレコードからCD、そしてネット配信、録音媒体もカセットテープからミニディスク、CDR、SDカード、スマホなどへのダウンロードなど大きく変化しました。
もう新曲CDの購入やコンサートに行くことはなくなりましたが、たまに浜省を聞くと若い頃の出来事が思い出されます。
70歳を超えても音楽への情熱を失わない浜省、社会に対するメッセージソング、時代を超えて聴く人の人生や経験に共感できる歌詞はこれからも色褪せることがありません。
『初めて行った浜省のコンサート・・・』
浜田省吾は1952年12月に広島県竹原市で生まれた日本のロックボーカリストであり、シンガーソングライターです。
愛称は「浜省」または「ハマショー」。
デビューは1976年、シングル『路地裏の少年』とアルバム『生まれたところを遠く離れて』を発売しました。
現在までテレビなどのメディアにはほとんど出演せず、ライブ活動を中心に多くのファンを魅了し続けています。
父親が警察官であったことから18歳までに広島県内を20回ほど転居し、その中で音楽に目覚めたのは小学4年から中学1年までを過ごした江田島での生活が原点であると語っています。またその情景は歌詞の中にも表現されています。
そんな江田島でのワンシーンが1992年に発行されたファンクラブの会誌に写真として掲載されました。
走る子供たちに自らの子供時代を重ねるように、バス停のベンチに腰掛け見つめる浜田省吾。
この写真を契機とし、廃止予定のバス停が江田島市立図書館の敷地内に保存・再現され、今は多くのファンが訪れる場所、いわゆる聖地巡礼の場所となっています。

再現されたバス停で浜省と同じポーズで写真を撮ってみました。
嬉しいことに撮影用のサングラスまで置いてあります。
サングラスをかけても丸刈りの怖いおじさんにしか見えませんね・・・。

同敷地内の展示室には、浜省ファンから寄贈された資料が数多く展示されています。
聖地巡礼をされている方にとっては感慨深い発見もあることでしょう。

記憶を辿れば、初めて浜省のコンサートに行ったのは二十歳の頃だったでしょうか、今からもう40年以上昔になりますね。
当時、長崎で開催された浜田省吾のコンサートを調べてみました。
1978年(S53)7月12日 NBCホール
1980年(S55)6月19日 長崎市公会堂
1981年(S56)10月4日 長崎市公会堂
1982年(S57)7月10日 長崎市公会堂
1983年(S58)2月18日 長崎市公会堂
1983年(S58)7月15日 長崎市公会堂
1981年、1983年(手帳に記録あり)のコンサートに行ったと思います。
記憶が定かではありませんが、1981年のコンサートは浜町の観光通りにあった三信衣料(今はなきカジュアルショップ)でタダ券を貰ったので行ってみた・・・。座席は2階部分で空席も多く、静かに座って聞いていたことを思い出します。
それでも「路地裏の少年」や「ラストショー」「悲しみは雪のように」など心に刺さる曲があり、浜省ファンになるまでに時間はかかりませんでした。


ツアータイトル「ON THE ROAD」、1982年3月~1983年2月(142公演)から始まり今も続いています。

音源はLPレコードからCD、そしてネット配信、録音媒体もカセットテープからミニディスク、CDR、SDカード、スマホなどへのダウンロードなど大きく変化しました。
もう新曲CDの購入やコンサートに行くことはなくなりましたが、たまに浜省を聞くと若い頃の出来事が思い出されます。
70歳を超えても音楽への情熱を失わない浜省、社会に対するメッセージソング、時代を超えて聴く人の人生や経験に共感できる歌詞はこれからも色褪せることがありません。
2025年07月30日 15:31
撮影日:2025(R7).07.27
『野母崎チーム 4連覇!!』
一般の部決勝レースの結果は、令和になってから野母崎が4連覇!8度目の優勝でした(コロナ感染症により3度大会は中止)。野母崎チームおめでとうございます!
赤地に白の1本線の吹き流しは1位の印しです。

決勝レースは、1コース 野母崎、2コース 時津、3コース 琴海A、4コース 琴海B、5コース 三重A、6コース 三重Bで行われました。

各チーム力は拮抗しほぼ横一線、序盤は三重Aチームが僅かにリードし折り返しに入りますが、ここで野母崎チームが小さくターンを決め先に出ます。
昨年、準優勝の三重Aも最後まで食い下がりますが、野母崎が息の合った櫂さばきを見せゴールしました。2位は3秒差で三重A、3位は僅差で時津チームでした。

久しぶりのペーロン観戦、顔も腕も日焼けしましたがとても充実した一日でした。
選手の皆さん、関係者の皆さん、ありがとうございました!!
写真はクリックすると拡大します。記事検索で「ペーロン」と入力すると過去記事を読むことができます、興味のある方はどうぞ!
『野母崎チーム 4連覇!!』
一般の部決勝レースの結果は、令和になってから野母崎が4連覇!8度目の優勝でした(コロナ感染症により3度大会は中止)。野母崎チームおめでとうございます!
赤地に白の1本線の吹き流しは1位の印しです。

決勝レースは、1コース 野母崎、2コース 時津、3コース 琴海A、4コース 琴海B、5コース 三重A、6コース 三重Bで行われました。

各チーム力は拮抗しほぼ横一線、序盤は三重Aチームが僅かにリードし折り返しに入りますが、ここで野母崎チームが小さくターンを決め先に出ます。
昨年、準優勝の三重Aも最後まで食い下がりますが、野母崎が息の合った櫂さばきを見せゴールしました。2位は3秒差で三重A、3位は僅差で時津チームでした。

久しぶりのペーロン観戦、顔も腕も日焼けしましたがとても充実した一日でした。
選手の皆さん、関係者の皆さん、ありがとうございました!!
写真はクリックすると拡大します。記事検索で「ペーロン」と入力すると過去記事を読むことができます、興味のある方はどうぞ!
2025年07月29日 17:20
撮影日:2025(R7).07.27
『チーム福田東部、憧れの一番櫂は!』
長崎ペーロン選手権大会には日頃の厳しい練習に耐え、各地域から選抜された強者揃いのチームが参加します。
早く船を進めるには腕力や体力だけでなく、「心を合わせて櫂を合わせる」、いわば心技体が揃うことが重要です。
一般対抗準決勝第2レース、写真を整理しながら気付いたのですが、第1コース(一番手前)のチーム「福田東部」のペーロン船、おもてと呼ばれる船首部分を担当する漕ぎ手の方は女性でした!

船首部分の漕ぎ手は「一番櫂」と呼ばれ、漕ぎ手全体のまとめ役であり剛腕の方が担うことが多く、誰もが憧れるポジションなのです。

残念ながら福田東部はタイム差で決勝に残ることはできませんでしたが、他のチームに引けを取らない見事な櫂さばき、チームワークの良さを見せてくれました。

以前、長崎ペーロン選手権大会では、中学生チームや女性チームでの競争も行われていましたが、今は漕ぎ手不足や活動費の確保に各チーム苦慮されています。
それでも長崎の伝統文化であるペーロンを絶やすことがないよう、各地域で取り組まれている関係者の皆様には感謝しかありません。
『チーム福田東部、憧れの一番櫂は!』
長崎ペーロン選手権大会には日頃の厳しい練習に耐え、各地域から選抜された強者揃いのチームが参加します。
早く船を進めるには腕力や体力だけでなく、「心を合わせて櫂を合わせる」、いわば心技体が揃うことが重要です。
一般対抗準決勝第2レース、写真を整理しながら気付いたのですが、第1コース(一番手前)のチーム「福田東部」のペーロン船、おもてと呼ばれる船首部分を担当する漕ぎ手の方は女性でした!

船首部分の漕ぎ手は「一番櫂」と呼ばれ、漕ぎ手全体のまとめ役であり剛腕の方が担うことが多く、誰もが憧れるポジションなのです。

残念ながら福田東部はタイム差で決勝に残ることはできませんでしたが、他のチームに引けを取らない見事な櫂さばき、チームワークの良さを見せてくれました。

以前、長崎ペーロン選手権大会では、中学生チームや女性チームでの競争も行われていましたが、今は漕ぎ手不足や活動費の確保に各チーム苦慮されています。
それでも長崎の伝統文化であるペーロンを絶やすことがないよう、各地域で取り組まれている関係者の皆様には感謝しかありません。



