近代化遺産・産業遺産

2020年10月07日 00:00

撮影日:2020(R2).09.21

『グラバーから岩崎彌太郎へ』

港から約2キロ、本町バス停の海側に「グラバー別邸跡」があります。
長崎の観光地「グラバー邸」で有名な貿易商トーマス・ブレーク・グラバーが、高島炭鉱の開発にあたりこの地に洋風の別邸を建て炭鉱経営の拠点としたところです。

案内板は先日の台風で倒れたようです。
以前は松の木が多くありましたが、今は殆どなくなっていました。
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階段や公園部分も荒れ果て、復旧には暫く時間を要すると思われます。
わざわざ立ち寄ってもちょっと残念という感じでしょうか。


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2020年09月18日 00:30

撮影日:2018(H30).09.15

『絶景ドライブ 

私もそうなのですが、仕事柄、国のGO!TO!!キャンペーン!!に乗っかることもできず、自分のため、職場を守るために相変わらず行動の自粛を続けている方も多いことと思います。
明日からの連休を前にして、いま流行りのソロキャンプでもするかなぁ! なんて考えたり・・・。

さて、今日の写真は2年前の角島ドライブより。

角島大橋は通行料無料の橋としては日本屈指の長さ1,780m。
コバルトブルーの海と海中道路、CMでも度々登場する景勝地です。
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写真を見ていたら、明日からの4連休、近場の海に出掛けたくなりました。
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角島灯台は、1876年(明治9年)3月1日に点灯した当時の日本海側では初めての大型灯台です。
設計は「日本の灯台の父」と讃えられるイギリス人技師R・H・ブラントン。
地上30mの塔は24mの高さまで荒磨きの花崗切石の装石積、上部は切込みを入れた切石を装飾的に配し、柔らかい感じを出している美しい造りとなっています。
105段の内部螺旋階段を上ってから眺める日本海の景色も素晴らしいです。
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長崎にもブライトンが設計した灯台がありますよ!
1871年(明治4年)9月14日に点灯した伊王島灯台です → 過去記事「伊王島」

それでは明日からのシルバーウィーク、早く何かしらの計画を立てねば!


2020年04月13日 00:30

撮影日:2019(H31).04.08

『陸の孤島を結ぶ夢の架け橋』

春の陽気に誘われてあちこちさるき回りたいところですが、職場からは県外への外出、また県外からの来訪者との接触禁止という緊急事態宣言が出ているので、目新しい出来事がありません。
そこでこれまで撮りためた写真から、ブログにアップしていないものを選んで更新しようと思います。
撮影時期が大きく前後したり、撮影時と現在では状況が様変わりしていたり、もう無くなっているものがあるかも知れませんがその点はご容赦願います。
写真はクリックすると拡大します。

今日は「西海橋・新西海橋」です。
昨年(2019年)の写真です。大勢の人が花見を楽しみ、駐車場が空くのを待つ車列が並んでいる風景がありました。来年は花見ができないような情勢になるとは誰も思っていなかったでしょうね。

新西海橋は2006年3月に開通。全長620m、西海パールラインの一部であるため車の通行は有料ですが、車道下に人道があり人の往来は無料です。人道の足元にはのぞき窓があり、うず潮や高所感を楽しむことができます。
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右上には針尾送信所の3本の無線塔が見えますね。
今も渦潮見物の遊覧船はあるのでしょうか?
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右の赤い橋は「西海橋」。.
4年の歳月と高度な建築技術により1955年10月に竣工。東洋一、世界三番目の長さを誇っていました。
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今は無料で通行できますが、1970年までは有料でした。
子供の頃、橋が無料開放される深夜帯まで駐車場で待機していた記憶があります。
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二本も橋が必要なのかは少し微妙ですけどね。
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以前、県外の知人を「西海橋」に連れてきたことがあります。
知人は「西海橋」を「再会橋」と思っていたと言っていました。言葉のイメージからは「再会」ということになるんでしょうね。
今年はコロナウイルスの影響で今まで当たり前だったことができなくなっています。
来年はみんなが元気に再会できるよう、今は各自感染予防に取り組むしかありませんね。


2019年06月26日 12:00

撮影日:2019(R1).06.23

『世界に羽ばたく園児の成長を見守る銀色の翼』

前回、琴海地区ペーロン大会に向かう車中で、「あっ!ここにあった!!」と思わず叫んでしまったもの。
DH-104-1


それは旧長崎水族館に展示されていた1957年デ・ハビラント社製双発レシプロ小型旅客機DH-104。
水族館閉館後は琴海町の空き地に移設され、静かに余生を送っていると思っていた懐かしの飛行機。
DH104-2


今年2月、本ブログに「現在解体中、移設され新たな姿を見せてくれると思います。よかった~」とのコメントを頂いてます。
私自身もどこに行くのかなぁと思っていましたが、かつての雄姿はこども園の広い園庭で夕日に照らされ輝いていました。本当によかった~!!
DH104-3


以前このDH-104紹介した際には、『波静かな大村湾を見つめ、朽ちてゆく翼』などと大変失礼なコメントを入れてしまい大変申し訳ございません。
過去記事 → ここをクリック

昭和50年(1975年)の旧長崎水族館空中写真(国土地理院より引用)
赤丸に本機が写っています。私は13歳か・・・。
S50


こども園では飛行機の改修整備を計画されているとのこと。
旧長崎水族館に思い出がある者として、僅かでも何かお役に立てることがあればなぁと思いますね。

今回の移設を紹介した記事がありました → 長崎経済新聞




2018年09月10日 22:47

撮影日:2018(H30).09.09

『干潮の時に現れる近代土木遺産』

若津港は江戸時代に久留米藩により築かれ、米や麦、大分・日田からの木材積出港として栄えた。
筑後川は河口に近づくと幅が広く、流れがゆったりとなる。さらに有明海の干満の差は約6メートルと大きい。
このような条件から川底には土砂が堆積しやすくなり、船の出入りを妨げることとなる。
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明治期になり船が大型化すると堆積物の問題がより大きくなった。そこで当時の政府(内務省)は灌漑・干拓の土木技術に優れたオランダより技術者ヨハネス・デ・レーケを招聘、解決策として導流堤の建設を決定した。
導流堤の構造を簡単に言うと、川の中央部に石組みの堤防を築くことにより川を分割、川幅を狭めることにより流れを速め土砂を押し流そうとするものである。resize0130


遠く雲仙岳を望む6.5キロにわたる美しい石組みの堤防は、明治23年(1890年)に完成、「若津港導流堤」または「デ・レーケ導流堤」と呼ばれ市民に親しまれる近代土木遺産である。
明治30年代には多くの貨客船が神戸大阪航路、東京航路、鹿児島航路に就航する有明海経済圏の最盛期を迎えた。
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現在、若津港に大型船の姿はないが、有明海で漁を行う船がひっきりなしに行き来するのを見ることができる。
船はすべて川の東側を航行している。築100年を経過した現在もその役割を果たし、東側は水深が深く、西側は土砂が堆積していることを大潮の日ははっきりと確認することができた。


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