原子爆弾のこと
2015年08月09日 23:30
2013年08月09日 23:55
撮影日:2012(H24).08.04
『失われた魂、生まれ来る命を感じる』
爆心地からわずか800mに位置し、強烈な熱線と爆風で黒焦げになった山王神社の大楠。
数年後、奇跡的に新芽を吹き今も豊かな緑を湛え、訪れる者に生命力と平和の尊さを静かに力強く語りかけている。
2006年、この被爆楠が台風によって枝が折れた際、治療にあたった樹木医が地上から3mの幹に空洞があることを発見した。
現在空洞部分には雨水の流入を防ぎ、また内部の様子を観察できるようにガラス窓が設置されている。
空洞内部に残る爆風で吹き飛ばされた多数の小石や瓦辺。
原子爆弾の威力、脅威を伝える資料ではあるが、小石の一つ一つが失われた多くの魂のようにも見える。
また、母親の胎内で守られる命のようにも感じられる。
今日は68回目の長崎原爆の日。
田上長崎市長は平和宣言の中で、日本政府に被爆国としての原点に返ることを求めていた。
核拡散防止条約(NPT)における「いかなる状況下でも核兵器が再び使用されないことが人類生存のためになる」、と訴える「核兵器の人道的影響に関する共同声明」に日本が賛同しなかった事実。
被爆地長崎に暮らす人間として真剣に考え、声を上げる必要があると感じた一日だった。
『失われた魂、生まれ来る命を感じる』
爆心地からわずか800mに位置し、強烈な熱線と爆風で黒焦げになった山王神社の大楠。
数年後、奇跡的に新芽を吹き今も豊かな緑を湛え、訪れる者に生命力と平和の尊さを静かに力強く語りかけている。
2006年、この被爆楠が台風によって枝が折れた際、治療にあたった樹木医が地上から3mの幹に空洞があることを発見した。
現在空洞部分には雨水の流入を防ぎ、また内部の様子を観察できるようにガラス窓が設置されている。
空洞内部に残る爆風で吹き飛ばされた多数の小石や瓦辺。
原子爆弾の威力、脅威を伝える資料ではあるが、小石の一つ一つが失われた多くの魂のようにも見える。
また、母親の胎内で守られる命のようにも感じられる。
今日は68回目の長崎原爆の日。
田上長崎市長は平和宣言の中で、日本政府に被爆国としての原点に返ることを求めていた。
核拡散防止条約(NPT)における「いかなる状況下でも核兵器が再び使用されないことが人類生存のためになる」、と訴える「核兵器の人道的影響に関する共同声明」に日本が賛同しなかった事実。
被爆地長崎に暮らす人間として真剣に考え、声を上げる必要があると感じた一日だった。
2012年08月09日 20:00
「平成24年 長崎平和宣言」
人間は愚かにも戦争をくりかえしてきました。しかし、たとえ戦争であっても許されない行為があります。現在では、子どもや母親、市民、傷ついた兵士や捕虜を殺傷することは「国際人道法」で犯罪とされます。毒ガス、細菌兵器、対人地雷など人間に無差別に苦しみを与え、環境に深刻な損害を与える兵器も「非人道的兵器」として明確に禁止されています。
1945年8月9日午前11時2分、アメリカの爆撃機によって長崎に一発の原子爆弾が投下されました。人間は熱線で黒焦げになり、鉄のレールも折れ曲がるほどの爆風で体が引き裂かれました。皮膚が垂れ下がった裸の人々。頭をもがれた赤ちゃんを抱く母親。元気そうにみえた人々も次々に死んでいきました。その年のうちに約7万4千人の方が亡くなり、約7万5千人の方が負傷しました。生き残った人々も放射線の影響で年齢を重ねるにつれて、がんなどの発病率が高くなり、被爆者の不安は今も消えることはありません。
無差別に、これほどむごく人の命を奪い、長年にわたり人を苦しめ続ける核兵器がなぜいまだに禁止されていないのでしょうか。
昨年11月、戦争の悲惨さを長く見つめてきた国際赤十字・赤新月運動が人道的な立場から「核兵器廃絶へ向かって進む」という決議を行いました。今年5月、ウィーンで開催された「核不拡散条約(NPT)再検討会議」準備委員会では、多くの国が核兵器の非人道性に言及し、16か国が「核軍縮の人道的側面に関する共同声明」を発表しました。今ようやく、核兵器を非人道的兵器に位置付けようとする声が高まりつつあります。それはこれまで被爆地が声の限り叫び続けてきたことでもあります。
しかし、現実はどうでしょうか。
世界には今も1万9千発の核兵器が存在しています。地球に住む私たちは数分で核戦争が始まるかもしれない危険性の中で生きています。広島、長崎に落とされた原子爆弾よりもはるかに凄まじい破壊力を持つ核兵器が使われた時、人類はいったいどうなるのでしょうか。
長崎を核兵器で攻撃された最後の都市にするためには、核兵器による攻撃はもちろん、開発から配備にいたるまですべてを明確に禁止しなければなりません。「核不拡散条約(NPT)」を越える新たな仕組みが求められています。そして、すでに私たちはその方法を見いだしています。
その一つが「核兵器禁止条約(NWC)」です。2008年には国連の潘基文事務総長がその必要性を訴え、2010年の「核不拡散条約(NPT)再検討会議」の最終文書でも初めて言及されました。今こそ、国際社会はその締結に向けて具体的な一歩を踏み出すべきです。
「非核兵器地帯」の取り組みも現実的で具体的な方法です。すでに南半球の陸地のほとんどは非核兵器地帯になっています。今年は中東非核兵器地帯の創設に向けた会議開催の努力が続けられています。私たちはこれまでも「北東アジア非核兵器地帯」への取り組みをいくどとなく日本政府に求めてきました。政府は非核三原則の法制化とともにこうした取り組みを推進して、北朝鮮の核兵器をめぐる深刻な事態の打開に挑み、被爆国としてのリーダーシップを発揮すべきです。
今年4月、長崎大学に念願の「核兵器廃絶研究センター(RECNA)」が開設されました。「核兵器のない世界」を実現するための情報や提案を発信し、ネットワークを広げる拠点となる組織です。「RECNA」の設立を機に、私たちはより一層力強く被爆地の使命を果たしていく決意です。
核兵器のない世界を実現するためには、次世代への働きかけが重要です。明日から日本政府と国連大学が共催して「軍縮・不拡散教育グローバル・フォーラム」がここ長崎で始まります。
核兵器は他国への不信感と恐怖、そして力による支配という考えから生まれました。次の世代がそれとは逆に相互の信頼と安心感、そして共生という考えに基づいて社会をつくり動かすことができるように、長崎は平和教育と国際理解教育にも力を注いでいきます。
東京電力福島第一原子力発電所の事故は世界を震撼させました。福島で放射能の不安に脅える日々が今も続いていることに私たちは心を痛めています。長崎市民はこれからも福島に寄り添い、応援し続けます。日本政府は被災地の復興を急ぐとともに、放射能に脅かされることのない社会を再構築するための新しいエネルギー政策の目標と、そこに至る明確な具体策を示してください。原子力発電所が稼働するなかで貯め込んだ膨大な量の高レベル放射性廃棄物の処分も先送りできない課題です。国際社会はその解決に協力して取り組むべきです。
被爆者の平均年齢は77歳を超えました。政府は、今一度、被爆により苦しんでいる方たちの声に真摯に耳を傾け、援護政策のさらなる充実に努力してください。
原子爆弾により命を奪われた方々に哀悼の意を表するとともに、今後とも広島市、そして同じ思いを持つ世界の人たちと協力して核兵器廃絶に取り組んでいくことをここに宣言します。
2012年(平成24年)8月9日
長崎市長 田上 富久
11時02分 原爆犠牲者のご冥福と、宣言とおりの平和な世界が実現できることを願い私も黙祷を捧げた。
ブログカテゴリに「原子爆弾のこと」を追加、整理した。
人間は愚かにも戦争をくりかえしてきました。しかし、たとえ戦争であっても許されない行為があります。現在では、子どもや母親、市民、傷ついた兵士や捕虜を殺傷することは「国際人道法」で犯罪とされます。毒ガス、細菌兵器、対人地雷など人間に無差別に苦しみを与え、環境に深刻な損害を与える兵器も「非人道的兵器」として明確に禁止されています。
1945年8月9日午前11時2分、アメリカの爆撃機によって長崎に一発の原子爆弾が投下されました。人間は熱線で黒焦げになり、鉄のレールも折れ曲がるほどの爆風で体が引き裂かれました。皮膚が垂れ下がった裸の人々。頭をもがれた赤ちゃんを抱く母親。元気そうにみえた人々も次々に死んでいきました。その年のうちに約7万4千人の方が亡くなり、約7万5千人の方が負傷しました。生き残った人々も放射線の影響で年齢を重ねるにつれて、がんなどの発病率が高くなり、被爆者の不安は今も消えることはありません。
無差別に、これほどむごく人の命を奪い、長年にわたり人を苦しめ続ける核兵器がなぜいまだに禁止されていないのでしょうか。
昨年11月、戦争の悲惨さを長く見つめてきた国際赤十字・赤新月運動が人道的な立場から「核兵器廃絶へ向かって進む」という決議を行いました。今年5月、ウィーンで開催された「核不拡散条約(NPT)再検討会議」準備委員会では、多くの国が核兵器の非人道性に言及し、16か国が「核軍縮の人道的側面に関する共同声明」を発表しました。今ようやく、核兵器を非人道的兵器に位置付けようとする声が高まりつつあります。それはこれまで被爆地が声の限り叫び続けてきたことでもあります。
しかし、現実はどうでしょうか。
世界には今も1万9千発の核兵器が存在しています。地球に住む私たちは数分で核戦争が始まるかもしれない危険性の中で生きています。広島、長崎に落とされた原子爆弾よりもはるかに凄まじい破壊力を持つ核兵器が使われた時、人類はいったいどうなるのでしょうか。
長崎を核兵器で攻撃された最後の都市にするためには、核兵器による攻撃はもちろん、開発から配備にいたるまですべてを明確に禁止しなければなりません。「核不拡散条約(NPT)」を越える新たな仕組みが求められています。そして、すでに私たちはその方法を見いだしています。
その一つが「核兵器禁止条約(NWC)」です。2008年には国連の潘基文事務総長がその必要性を訴え、2010年の「核不拡散条約(NPT)再検討会議」の最終文書でも初めて言及されました。今こそ、国際社会はその締結に向けて具体的な一歩を踏み出すべきです。
「非核兵器地帯」の取り組みも現実的で具体的な方法です。すでに南半球の陸地のほとんどは非核兵器地帯になっています。今年は中東非核兵器地帯の創設に向けた会議開催の努力が続けられています。私たちはこれまでも「北東アジア非核兵器地帯」への取り組みをいくどとなく日本政府に求めてきました。政府は非核三原則の法制化とともにこうした取り組みを推進して、北朝鮮の核兵器をめぐる深刻な事態の打開に挑み、被爆国としてのリーダーシップを発揮すべきです。
今年4月、長崎大学に念願の「核兵器廃絶研究センター(RECNA)」が開設されました。「核兵器のない世界」を実現するための情報や提案を発信し、ネットワークを広げる拠点となる組織です。「RECNA」の設立を機に、私たちはより一層力強く被爆地の使命を果たしていく決意です。
核兵器のない世界を実現するためには、次世代への働きかけが重要です。明日から日本政府と国連大学が共催して「軍縮・不拡散教育グローバル・フォーラム」がここ長崎で始まります。
核兵器は他国への不信感と恐怖、そして力による支配という考えから生まれました。次の世代がそれとは逆に相互の信頼と安心感、そして共生という考えに基づいて社会をつくり動かすことができるように、長崎は平和教育と国際理解教育にも力を注いでいきます。
東京電力福島第一原子力発電所の事故は世界を震撼させました。福島で放射能の不安に脅える日々が今も続いていることに私たちは心を痛めています。長崎市民はこれからも福島に寄り添い、応援し続けます。日本政府は被災地の復興を急ぐとともに、放射能に脅かされることのない社会を再構築するための新しいエネルギー政策の目標と、そこに至る明確な具体策を示してください。原子力発電所が稼働するなかで貯め込んだ膨大な量の高レベル放射性廃棄物の処分も先送りできない課題です。国際社会はその解決に協力して取り組むべきです。
被爆者の平均年齢は77歳を超えました。政府は、今一度、被爆により苦しんでいる方たちの声に真摯に耳を傾け、援護政策のさらなる充実に努力してください。
原子爆弾により命を奪われた方々に哀悼の意を表するとともに、今後とも広島市、そして同じ思いを持つ世界の人たちと協力して核兵器廃絶に取り組んでいくことをここに宣言します。
2012年(平成24年)8月9日
長崎市長 田上 富久
11時02分 原爆犠牲者のご冥福と、宣言とおりの平和な世界が実現できることを願い私も黙祷を捧げた。
ブログカテゴリに「原子爆弾のこと」を追加、整理した。
2012年08月08日 19:30
『死没者名簿に記載されることのない9000余の御霊』
8月9日、平和祈念式典で奉納される原爆死没者名簿。
今年、名簿には新たに亡くなった被爆者3305人が加わり、累計は15万8754人となった。
写真は、平和記念像地区にある「長崎市原子爆弾無縁死没者追悼祈念堂」。
平成6年に建てられまだ真新しい印象を受けるが、ここを訪れる者はあまり多くない。
この祈念堂には、長崎市内及び近郊に散在していた原子爆弾によって亡くなられた身元や氏名不詳の遺骨、氏名がわかっていても一家全滅などで引き取り手がない原爆無縁死没者の遺骨が安置されている。
安置遺骨数8964柱、うち氏名判明分122柱(平成23年12月1日現在)
先祖代々、未来永劫に家や一族が繁栄し継承されていくとは思わないが、「原爆殉難無縁者慰霊の記」に刻まれた「一家全滅」の文字は、なんともやり切れない戦争の不条理を感じざるを得ない。
原爆投下から67年の間、死没者名簿に記載されることのない9000余の御霊の安らかならんことを祈ります。
8月9日、平和祈念式典で奉納される原爆死没者名簿。
今年、名簿には新たに亡くなった被爆者3305人が加わり、累計は15万8754人となった。
写真は、平和記念像地区にある「長崎市原子爆弾無縁死没者追悼祈念堂」。
平成6年に建てられまだ真新しい印象を受けるが、ここを訪れる者はあまり多くない。
この祈念堂には、長崎市内及び近郊に散在していた原子爆弾によって亡くなられた身元や氏名不詳の遺骨、氏名がわかっていても一家全滅などで引き取り手がない原爆無縁死没者の遺骨が安置されている。
安置遺骨数8964柱、うち氏名判明分122柱(平成23年12月1日現在)
先祖代々、未来永劫に家や一族が繁栄し継承されていくとは思わないが、「原爆殉難無縁者慰霊の記」に刻まれた「一家全滅」の文字は、なんともやり切れない戦争の不条理を感じざるを得ない。
原爆投下から67年の間、死没者名簿に記載されることのない9000余の御霊の安らかならんことを祈ります。
2012年08月06日 19:00
『同じ命日の方々が眠る長崎の墓所』
本日、8月6日は広島原爆忌。そして9日は長崎原爆忌。
長崎で原爆の話をすると、親類縁者の誰かが原爆で亡くなったとか、九死に一生を得たとかそんな話を聞くことができる。
ただ、亡くなった人について言えば親父のお姉さんだったり、おじさん一家だったりと、自分が生まれる前に亡くなってしまっているので正直ピンと来ないのも事実。
でも、原爆の犠牲になることなく元気で生きていれば、ほんとうに身近な親類縁者となる人もいたんだと思う。
人と人の出会いや繋がりが、たった一発の爆弾で断ち切られたことは残念と言うほかない。
長崎の墓所に行くと、墓石や法名塔に昭和20年8月9日の文字が多く刻まれている。
もうすぐお盆もやってくる。回りの墓は我が家と何の縁もないけれど、命日を同じくする人がこんなにたくさん眠っていると思えば、どこか繋がっているような心地にもなる。
たくさんある原爆・反戦の歌から、今日は【作詞】小森 香子【作曲】大西 進 時 『青い空は』 をどうぞ!
時には声に出して歌ってみるのもいいと思いますよ。
1.青い空は青いままで
子どもらに伝えたい
燃える八月の朝
影まで燃え尽きた
父の母の 兄弟たちの
命の重みを 肩に背負って 胸に抱いて
2.青い空は青いままで
子どもらに伝えたい
あの夜 星は黙って
連れ去って行った
父の母の 兄弟たちの
命の重みを 今流す灯篭の 光に込めて
3.青い空は青いままで
子どもらに伝えたい
全ての国から
戦(いくさ)の火を消して
平和と愛と 友情の
命の輝きを この堅い握手と
うたごえに込めて
うたごえに込めて
<
長崎原爆で犠牲になった人の数は昨年7月末で15万5千人を越え、8月以降の1年間で3000人余の方々が新たに亡くなっている。合掌。
※写真については、刻まれたお名前を画像処理しています。
本日、8月6日は広島原爆忌。そして9日は長崎原爆忌。
長崎で原爆の話をすると、親類縁者の誰かが原爆で亡くなったとか、九死に一生を得たとかそんな話を聞くことができる。
ただ、亡くなった人について言えば親父のお姉さんだったり、おじさん一家だったりと、自分が生まれる前に亡くなってしまっているので正直ピンと来ないのも事実。
でも、原爆の犠牲になることなく元気で生きていれば、ほんとうに身近な親類縁者となる人もいたんだと思う。
人と人の出会いや繋がりが、たった一発の爆弾で断ち切られたことは残念と言うほかない。
長崎の墓所に行くと、墓石や法名塔に昭和20年8月9日の文字が多く刻まれている。
もうすぐお盆もやってくる。回りの墓は我が家と何の縁もないけれど、命日を同じくする人がこんなにたくさん眠っていると思えば、どこか繋がっているような心地にもなる。
たくさんある原爆・反戦の歌から、今日は【作詞】小森 香子【作曲】大西 進 時 『青い空は』 をどうぞ!
時には声に出して歌ってみるのもいいと思いますよ。
1.青い空は青いままで
子どもらに伝えたい
燃える八月の朝
影まで燃え尽きた
父の母の 兄弟たちの
命の重みを 肩に背負って 胸に抱いて
2.青い空は青いままで
子どもらに伝えたい
あの夜 星は黙って
連れ去って行った
父の母の 兄弟たちの
命の重みを 今流す灯篭の 光に込めて
3.青い空は青いままで
子どもらに伝えたい
全ての国から
戦(いくさ)の火を消して
平和と愛と 友情の
命の輝きを この堅い握手と
うたごえに込めて
うたごえに込めて
<
長崎原爆で犠牲になった人の数は昨年7月末で15万5千人を越え、8月以降の1年間で3000人余の方々が新たに亡くなっている。合掌。
※写真については、刻まれたお名前を画像処理しています。