対州馬
2016年12月13日 06:09
撮影日:2016(H28).12.03
『自然における日本に特有の家畜(昭和28年・国天然記念物)』
日本在来馬は北海道の道産子、長野県木曽地方の木曽馬、愛媛県今治の野間馬、長崎県対馬の対州馬、宮崎県の御崎馬、鹿児島県のトカラ馬、沖縄県宮古島の宮古馬・与那国島の与那国馬の8種が現存する日本在来馬と言われています。
在来馬のルーツはモンゴル高原と考えられ、古墳時代の出土品や日本書紀の史実からも日本人と在来馬は古来より深い繋がりがありました。
在来馬の特徴は、競馬等でよく見る洋種のサラブレッドと比較するとはるかに小型・中型であり、胴長、短足、ずんぐりした体型で、粗食に耐え、体が丈夫であることから農耕、運搬等人間の営みの中で大きな役割を任されていました。
よく見れば昔の日本人の体型もこんな感じでしたね。
そんな在来馬ですが明治期には大量の軍馬の育成から洋種馬との交配が進められ、また、農業の在り方、機械化などにより人と馬の関わり合いが無くなり、その個体数が激減していることは周知の事実です。
とは言え、在来馬の分類は家畜であり、いくらサラブレッドと比べ小型と言っても個人で飼えるものではありません。
現在、道産子と対州馬を除く6種は国や県の天然記念物に指定され、何とか種の維持が図られているのが現状です。
都井岬の「御崎馬」は唯一国の天然記念物に指定されています。
御崎馬は昔ながらの放牧という形で管理され、都井岬の自然の成り行きの中で生まれ、育ち、やがて自然に帰る。あくまで自力で菜食し、自然環境に順応して生きています。
※放牧地の野焼きや清掃、ダニ駆除薬の投薬や個体数管理は行われています。
今回、都井岬は必ず訪れる場所と決めていましたが、鹿屋基地資料館見学に時間を費やしてしまい、到着したのは夕暮れ間近となってしまいました。
群れで遊ぶ馬の姿を見つけることはできませんでしたが、マイペースで草を食む御崎馬の姿を見ることができました。
古来より人と馬とが共存していた証として、これからも都井岬の自然の中で生き続けて欲しいと願わずにはいられませんでした。
『自然における日本に特有の家畜(昭和28年・国天然記念物)』
日本在来馬は北海道の道産子、長野県木曽地方の木曽馬、愛媛県今治の野間馬、長崎県対馬の対州馬、宮崎県の御崎馬、鹿児島県のトカラ馬、沖縄県宮古島の宮古馬・与那国島の与那国馬の8種が現存する日本在来馬と言われています。
在来馬のルーツはモンゴル高原と考えられ、古墳時代の出土品や日本書紀の史実からも日本人と在来馬は古来より深い繋がりがありました。
在来馬の特徴は、競馬等でよく見る洋種のサラブレッドと比較するとはるかに小型・中型であり、胴長、短足、ずんぐりした体型で、粗食に耐え、体が丈夫であることから農耕、運搬等人間の営みの中で大きな役割を任されていました。
よく見れば昔の日本人の体型もこんな感じでしたね。
そんな在来馬ですが明治期には大量の軍馬の育成から洋種馬との交配が進められ、また、農業の在り方、機械化などにより人と馬の関わり合いが無くなり、その個体数が激減していることは周知の事実です。
とは言え、在来馬の分類は家畜であり、いくらサラブレッドと比べ小型と言っても個人で飼えるものではありません。
現在、道産子と対州馬を除く6種は国や県の天然記念物に指定され、何とか種の維持が図られているのが現状です。
都井岬の「御崎馬」は唯一国の天然記念物に指定されています。
御崎馬は昔ながらの放牧という形で管理され、都井岬の自然の成り行きの中で生まれ、育ち、やがて自然に帰る。あくまで自力で菜食し、自然環境に順応して生きています。
※放牧地の野焼きや清掃、ダニ駆除薬の投薬や個体数管理は行われています。
今回、都井岬は必ず訪れる場所と決めていましたが、鹿屋基地資料館見学に時間を費やしてしまい、到着したのは夕暮れ間近となってしまいました。
群れで遊ぶ馬の姿を見つけることはできませんでしたが、マイペースで草を食む御崎馬の姿を見ることができました。
古来より人と馬とが共存していた証として、これからも都井岬の自然の中で生き続けて欲しいと願わずにはいられませんでした。
2012年03月16日 19:00
撮影日:2012(H24).03.10
『里子が教えてくれた大切なこと』
天気にも恵まれ、対州馬・里子による「荷運び再現プロジェクト」は無事終了することができました。
報道各社の取材もあり、がんばる里子の姿をテレビや新聞・ネットを通して多くの方々にを見て頂けたことと思います。
続きを読む
『里子が教えてくれた大切なこと』
天気にも恵まれ、対州馬・里子による「荷運び再現プロジェクト」は無事終了することができました。
報道各社の取材もあり、がんばる里子の姿をテレビや新聞・ネットを通して多くの方々にを見て頂けたことと思います。
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2012年03月05日 19:30
『對馬名物 農家婦人』
1900(明治33)年に私製絵はがきの発行が認められます。
当時の絵はがきには各地の風景、建物、風俗、人物など多種多様な図柄や写真が登場するのですが、今ではもう見ることのできない歴史的な価値を持つものが多数存在します。
対馬を紹介した絵はがきには、馬に乗ったもんぺ姿の女性がいくつも紹介されています。
そんな1枚、タイトルは「対馬名物 農家婦人」。大正中期から昭和初期に発売された絵はがきです。
農耕や木材・農作物などの運搬に欠くことのできない存在であった「対州馬」と、それを飼育し共に働く女性の姿が写っています。
当時、日本各地で馬は飼育され使われていたはずですが、わざわざ「対馬名物」と明記したところには、馬を女性が扱い、さらに騎乗している姿は他では目にすることが出来ない珍しい光景だったということでしょう。対馬ではごく当たり前の風景でも・・・。
また、対州馬が他の在来馬と同様に体格が小さいというだけではなく、性格がとても優しく、人に従順であり女性でも扱える馬であったことを証明しています。
単なる人間と家畜という関係ではなく、人間と動物が強い絆で結ばれていたことを感じることができる一枚です。
そんな最大4千頭近くもいた対州馬ですが、今では30数頭に激減してしまいました
農業従事者の減少、生活様式の変化、機械・自動車の普及・・・。対州馬が必要とされなくなった理由は様々です。
対州馬の保護・育成は簡単に解決出来る問題ではありませんが、3月10日(土)長崎市伊良林地区で対州馬による荷運びを再現するプロジェクトが行われます。
かつて、坂の町長崎でよく出くわした光景です。
「おもしろそうだなぁ!」「懐かしいなぁ!」という気持ちで良いと思います。まずは、興味や関心を持って頂くことが対州馬の保存に繋がっていくと思っています。
時間のある方は是非会いに来て下さいね。
プロジェクトの詳細は下記リンクをご覧下さい。
発起人であり、私がお世話になっている江島さんのHPは → こちら
当日の主役、対州馬の「里子」がいるカフェwaranayaのHPは → こちら
心配は週末の空模様、雨が降らないことを願うばかりです。
(2枚目PC画面の馬は、福岡市の油山牧場「もーもーランド」にいる対州馬です)
1900(明治33)年に私製絵はがきの発行が認められます。
当時の絵はがきには各地の風景、建物、風俗、人物など多種多様な図柄や写真が登場するのですが、今ではもう見ることのできない歴史的な価値を持つものが多数存在します。
対馬を紹介した絵はがきには、馬に乗ったもんぺ姿の女性がいくつも紹介されています。
そんな1枚、タイトルは「対馬名物 農家婦人」。大正中期から昭和初期に発売された絵はがきです。
農耕や木材・農作物などの運搬に欠くことのできない存在であった「対州馬」と、それを飼育し共に働く女性の姿が写っています。
当時、日本各地で馬は飼育され使われていたはずですが、わざわざ「対馬名物」と明記したところには、馬を女性が扱い、さらに騎乗している姿は他では目にすることが出来ない珍しい光景だったということでしょう。対馬ではごく当たり前の風景でも・・・。
また、対州馬が他の在来馬と同様に体格が小さいというだけではなく、性格がとても優しく、人に従順であり女性でも扱える馬であったことを証明しています。
単なる人間と家畜という関係ではなく、人間と動物が強い絆で結ばれていたことを感じることができる一枚です。
そんな最大4千頭近くもいた対州馬ですが、今では30数頭に激減してしまいました
農業従事者の減少、生活様式の変化、機械・自動車の普及・・・。対州馬が必要とされなくなった理由は様々です。
対州馬の保護・育成は簡単に解決出来る問題ではありませんが、3月10日(土)長崎市伊良林地区で対州馬による荷運びを再現するプロジェクトが行われます。
かつて、坂の町長崎でよく出くわした光景です。
「おもしろそうだなぁ!」「懐かしいなぁ!」という気持ちで良いと思います。まずは、興味や関心を持って頂くことが対州馬の保存に繋がっていくと思っています。
時間のある方は是非会いに来て下さいね。
プロジェクトの詳細は下記リンクをご覧下さい。
発起人であり、私がお世話になっている江島さんのHPは → こちら
当日の主役、対州馬の「里子」がいるカフェwaranayaのHPは → こちら
心配は週末の空模様、雨が降らないことを願うばかりです。
(2枚目PC画面の馬は、福岡市の油山牧場「もーもーランド」にいる対州馬です)
2011年11月16日 01:00
撮影日:2011(H23).11.03
『荷を運ぶ姿をもう一度見てみたい!』
今月初め、いつもお世話になっている「アトリエ隼 仕事日記」の管理人さんのお誘いで、長崎市内で最後の馬方さんだったお宅を訪問させて頂きました。
「馬方さん」って?
すぐにピンとこない方もあると思いますが、平地が少ない長崎では斜面に家を建てる事が多く、自動車が横付けできない建築現場への資材運搬に馬が活躍していた時代がありました。
市内在住で40代以上の長崎人ならよく記憶されていると思いますが・・・。
そんな馬を使った資材運搬を生業とされていた馬方さんのお宅を訪問したのです。
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『荷を運ぶ姿をもう一度見てみたい!』
今月初め、いつもお世話になっている「アトリエ隼 仕事日記」の管理人さんのお誘いで、長崎市内で最後の馬方さんだったお宅を訪問させて頂きました。
「馬方さん」って?
すぐにピンとこない方もあると思いますが、平地が少ない長崎では斜面に家を建てる事が多く、自動車が横付けできない建築現場への資材運搬に馬が活躍していた時代がありました。
市内在住で40代以上の長崎人ならよく記憶されていると思いますが・・・。
そんな馬を使った資材運搬を生業とされていた馬方さんのお宅を訪問したのです。
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2011年07月02日 10:34
撮影日:2011(H23).07.02
『自分の目で確かめに・・・。』
毎年出かけるのを楽しみにしている「唐比ハス園」。
今年は大雨の被害で花も咲かずハス祭りも中止と聞いていましたが、私にとっての恒例行事なので早起きして出かけました。
思った以上に花はなく、びっくりしました!
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『自分の目で確かめに・・・。』
毎年出かけるのを楽しみにしている「唐比ハス園」。
今年は大雨の被害で花も咲かずハス祭りも中止と聞いていましたが、私にとっての恒例行事なので早起きして出かけました。
思った以上に花はなく、びっくりしました!
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