2013年08月31日 23:49
本河内高部水源地(長崎市本河内)
撮影日:2013(H25).08.24
『伝染病から市民を守るために造られた水道施設』
今では想像もできませんが、鎖国時代から日本唯一の開港地であった長崎では、外国船の入港と一緒にコレラや赤痢などの伝染病が持ち込まれ、多くの方が亡くなっています。
このような背景から、横浜、函館に続き近代的な水道施設が造られることとなりました。

当時、長崎区の年間予算4万円、その7.5倍に相当する30万円の建設費が投じら造られた本河内水道施設。
日本で3 番目の本河内水道は、横浜水道や函館水道が英国人による建設であるの対し、日本人(吉村長策)による最初の水道建設です。
この中で築造された本河内高部ダム(明治24 年に完成)は、日本初のダム式水道です。

1985(昭和60)年、近代水道百選に選ばれ、また平成2年には「歴史的ダム保全事業」に指定されました。
1枚目の写真が新堰堤、2枚目が最初に築造された堰堤です。
『伝染病から市民を守るために造られた水道施設』
今では想像もできませんが、鎖国時代から日本唯一の開港地であった長崎では、外国船の入港と一緒にコレラや赤痢などの伝染病が持ち込まれ、多くの方が亡くなっています。
このような背景から、横浜、函館に続き近代的な水道施設が造られることとなりました。

当時、長崎区の年間予算4万円、その7.5倍に相当する30万円の建設費が投じら造られた本河内水道施設。
日本で3 番目の本河内水道は、横浜水道や函館水道が英国人による建設であるの対し、日本人(吉村長策)による最初の水道建設です。
この中で築造された本河内高部ダム(明治24 年に完成)は、日本初のダム式水道です。

1985(昭和60)年、近代水道百選に選ばれ、また平成2年には「歴史的ダム保全事業」に指定されました。
1枚目の写真が新堰堤、2枚目が最初に築造された堰堤です。
新旧堰堤間の土地は、公園として整備が完了しています。
立派なトイレも設置されています。

ダム改修時に撤去された取水塔上部の遺構が展示されています。
取水塔は日本最初の水道ダムの構造物として貴重なものです。

こちらは導水隧道の遺構です。
導水隧道とは、取水した原水を濾過池まで送るために敷設した送水管を管理するトンネルのことです。
レンガ遺構で目地はイギリス輸入のセメント、周辺は天川(あまかわ)と呼ばれる日本古来のセメントが使用されています。


下流側から見た水道施設、建設当時のままレンガ積みで囲われているは配水池でしょうか?

当時は絵葉書で紹介されるほど、長崎が誇るべき施設だったんですね。

国道側は駐車場がありません。車で訪れる場合は、山側(奥山地区)に駐車するスペースがあります。
本河内水源地の過去記事 → こちら こちら
立派なトイレも設置されています。

ダム改修時に撤去された取水塔上部の遺構が展示されています。
取水塔は日本最初の水道ダムの構造物として貴重なものです。

こちらは導水隧道の遺構です。
導水隧道とは、取水した原水を濾過池まで送るために敷設した送水管を管理するトンネルのことです。
レンガ遺構で目地はイギリス輸入のセメント、周辺は天川(あまかわ)と呼ばれる日本古来のセメントが使用されています。


下流側から見た水道施設、建設当時のままレンガ積みで囲われているは配水池でしょうか?

当時は絵葉書で紹介されるほど、長崎が誇るべき施設だったんですね。

国道側は駐車場がありません。車で訪れる場合は、山側(奥山地区)に駐車するスペースがあります。
本河内水源地の過去記事 → こちら こちら