2012年02月24日 20:30
池島炭鉱・女神号慈海(長崎市池島町)
『海面下650m 世界最速で駆け抜けた坑内人車』
角力灘を見渡せる外海地区は、季節や天候に関係なく何度訪れても飽きることがありません。
特に池島を中心に、大蟇島・小蟇島、大角力・小角力はとても絵になる海の風景が広がっています。
この日は特に天気も良く、遠く五島の島影を見ることができました。
さて、池島炭鉱の話です。池島から写真左に写る蟇島一帯が池島炭鉱が採炭を行っていた鉱区になります。
と言っても海面から650mも下の地底の話ですから、池島が炭鉱だったことを知らない人は海底にトンネルがあったなんて想像もできないことでしょう。
維持坑道の長さは93km。長崎から佐世保までよりまだ長く、所有鉱区数は70、面積3,550千アール。
理論可採埋蔵炭量約17億トン、確定実収炭量約2億7千万トン、蟇島周辺の確定実収炭量約1億6千万トンと平成12年度に報告されています。
角力灘を見渡せる外海地区は、季節や天候に関係なく何度訪れても飽きることがありません。
特に池島を中心に、大蟇島・小蟇島、大角力・小角力はとても絵になる海の風景が広がっています。
この日は特に天気も良く、遠く五島の島影を見ることができました。
さて、池島炭鉱の話です。池島から写真左に写る蟇島一帯が池島炭鉱が採炭を行っていた鉱区になります。
と言っても海面から650mも下の地底の話ですから、池島が炭鉱だったことを知らない人は海底にトンネルがあったなんて想像もできないことでしょう。
維持坑道の長さは93km。長崎から佐世保までよりまだ長く、所有鉱区数は70、面積3,550千アール。
理論可採埋蔵炭量約17億トン、確定実収炭量約2億7千万トン、蟇島周辺の確定実収炭量約1億6千万トンと平成12年度に報告されています。
採掘にあたり、運搬・通気・通路のために坑内を掘さくし広がっていった坑道(トンネル)が93km、炭層を追って深く、奥へと伸びて行きました。
採掘を終えた不要坑道は早期密閉、廃棄されますからそれらを含めるともっと大きな数字になります。
坑道が伸びていくことは、採炭現場が池島からどんどん離れていくことになります。
でも、何十キロも離れた採炭現場まで、炭鉱マンが歩いて行くことはできません。
そこで坑内作業員は、人車と呼ばれる車両に乗って坑内を移動することとなります。
平成12年当時の池島炭鉱における作業員の動きは、
坑外(島・陸上)→第2竪坑巻上機→第1人停→高速人車女神号慈海→第2南入気斜坑→マンベルト→第2南四尺層西連坑道→マンベルト→採炭切羽 (青文字が作業員を運んだ輸送手段になります)
池島炭鉱で特筆すべきは、平成8年に導入された「高速人車女神号慈海」です。
海面下650mレベルの基幹坑道を1日19回往復し、速度は世界最速の50km/hを誇っていました。
(池島炭鉱第1竪坑工場内に保管される女神号慈海)
稼働時は機関車2両、人車4両の6両編成で定員は96名。坑内人車には珍しいスライド扉があり、安全と迅速な乗り降りに配慮がなされています。
機関車のヘッドには、「schalke」の銘板がありますからドイツ製車両です。
(大牟田石炭産業科学館に展示される女神慈海号)
運転席は計器類が殆どなく、コンピューター制御の操作盤があるだけです。
制御機器はシーメンス社製。最先端の技術が注入されていたことが伺えます。
そんな世界最高水準の人車が投入された池島炭鉱も平成13年に閉山。
実働は僅か5年の「女神号慈海」は、二度と炭鉱マンを乗せることなく陽の当たる地上で静かに余生を送っています。
拙い説明より当時の映像をご覧下さい!「女神号慈海」「マンベルト」「竪坑」「石炭の選別」などよく分かります、→「こちらから池島炭鉱ビデオを見るをクリック
人車の名前「女神号慈海」は社内公募により命名されたものですが、池島の生命と幸福と守るため建てられた女神「慈海」の像が由来となっています。
第2竪坑に立つ女神像は、外海の教会にあるマリア像と変わらぬやさしいまなざしで今も海を見つめています。
1枚目の風景写真は先日撮ったものですが、女神号慈海の写真は過去データを使用しています。
採掘を終えた不要坑道は早期密閉、廃棄されますからそれらを含めるともっと大きな数字になります。
坑道が伸びていくことは、採炭現場が池島からどんどん離れていくことになります。
でも、何十キロも離れた採炭現場まで、炭鉱マンが歩いて行くことはできません。
そこで坑内作業員は、人車と呼ばれる車両に乗って坑内を移動することとなります。
平成12年当時の池島炭鉱における作業員の動きは、
坑外(島・陸上)→第2竪坑巻上機→第1人停→高速人車女神号慈海→第2南入気斜坑→マンベルト→第2南四尺層西連坑道→マンベルト→採炭切羽 (青文字が作業員を運んだ輸送手段になります)
池島炭鉱で特筆すべきは、平成8年に導入された「高速人車女神号慈海」です。
海面下650mレベルの基幹坑道を1日19回往復し、速度は世界最速の50km/hを誇っていました。
(池島炭鉱第1竪坑工場内に保管される女神号慈海)
稼働時は機関車2両、人車4両の6両編成で定員は96名。坑内人車には珍しいスライド扉があり、安全と迅速な乗り降りに配慮がなされています。
機関車のヘッドには、「schalke」の銘板がありますからドイツ製車両です。
(大牟田石炭産業科学館に展示される女神慈海号)
運転席は計器類が殆どなく、コンピューター制御の操作盤があるだけです。
制御機器はシーメンス社製。最先端の技術が注入されていたことが伺えます。
そんな世界最高水準の人車が投入された池島炭鉱も平成13年に閉山。
実働は僅か5年の「女神号慈海」は、二度と炭鉱マンを乗せることなく陽の当たる地上で静かに余生を送っています。
拙い説明より当時の映像をご覧下さい!「女神号慈海」「マンベルト」「竪坑」「石炭の選別」などよく分かります、→「こちらから池島炭鉱ビデオを見るをクリック
人車の名前「女神号慈海」は社内公募により命名されたものですが、池島の生命と幸福と守るため建てられた女神「慈海」の像が由来となっています。
第2竪坑に立つ女神像は、外海の教会にあるマリア像と変わらぬやさしいまなざしで今も海を見つめています。
1枚目の風景写真は先日撮ったものですが、女神号慈海の写真は過去データを使用しています。
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コメント一覧
2. Posted by ちび太郎 2012年03月05日 21:07
poiyoさま
こんばんは。
最近、雨の降る日が多いですね。
せっかくの休日も外出することなく過ごす時間が増えています。
さて池島、炭鉱閉山後ほとんどの人が島を離れてしまいました。
天気の良い日に見えるアパート群も殆どが無人となっています。
軍艦島と比較すればまだ新しく建物が多いものの、人が住んでおらず手が加えられないこと、海に面した立地条件を考えれば、そう遠くない将来は軍艦島と同じ姿になると思われます。
炭鉱の復活は難しいにしても、何とか利用する手立てはないものかと思いますね。
こんばんは。
最近、雨の降る日が多いですね。
せっかくの休日も外出することなく過ごす時間が増えています。
さて池島、炭鉱閉山後ほとんどの人が島を離れてしまいました。
天気の良い日に見えるアパート群も殆どが無人となっています。
軍艦島と比較すればまだ新しく建物が多いものの、人が住んでおらず手が加えられないこと、海に面した立地条件を考えれば、そう遠くない将来は軍艦島と同じ姿になると思われます。
炭鉱の復活は難しいにしても、何とか利用する手立てはないものかと思いますね。
1. Posted by poiyo 2012年02月27日 22:33
こんばんは。
最初の写真を見て、ああ、あそこだ、なんてわかりました。先日行ったばかりです。
この海の風景は絵になりますよね。
でも池島炭鉱の話は知りません。
炭鉱があった、というくらいです。平成のほとんどを名古屋で過ごしましたから、すっかりよそ者になってしまいましたね…。
これから少しずつでも、郷土の事を知らないといけないと感じます。
ありがとうございます。
最初の写真を見て、ああ、あそこだ、なんてわかりました。先日行ったばかりです。
この海の風景は絵になりますよね。
でも池島炭鉱の話は知りません。
炭鉱があった、というくらいです。平成のほとんどを名古屋で過ごしましたから、すっかりよそ者になってしまいましたね…。
これから少しずつでも、郷土の事を知らないといけないと感じます。
ありがとうございます。