2011年01月21日 20:24

麻生山田炭鉱(福岡県糟屋郡久山町山田)

撮影日:2008(H20).06.15


『今もなお、地中で燃え続ける石。』

寒い、仕事は一向にさばけん・・・。

先日、家でぼんやり「ナニコレ珍百景」という番組を見ていたら、山肌から煙が出ている写真が流れていました。

写真の説明はありませんでしたが、一目見て麻生山田炭鉱の「ボタ山」が燃えている様子だと気がつきました。

新しい写真も無いし、これはまだ紹介していなかったので以前撮った写真を引っ張り出して記事にします。

麻生山田炭鉱は1948(S23年)に開発が始まり、1967(S42)年に閉山した炭鉱です。
炭鉱の遺構が残り、今も燃え続けるボタ山の存在は、近代化遺産や廃墟を調べる人達の間では結構有名な場所になっています。

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訪問したのは3年前の6月でした。
夏草が生い茂り遺構に近づくことはできませんが、植物が絡まり自然にのみ込まれていく有様は栄枯盛衰を感じさせるものがあります。




そんな遺構を横目に、舗装された道路を上がって行きます。
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途中、道や側溝に多量の水が流れていたり、「危険!!立入禁止」のゲートがあったりしますが、そんな場所には立ち入らず舗装路を進んで行くと・・・。
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「ナニコレ珍百景」でも紹介された、燃える山肌が見えてきます。
消火するというよりも、安全に燃えさせているといった感じで整地されています。
地熱が高く、ガスも出ているのでしょうか、草すら生えていません。
燃えるにおいは、アスファルト舗装工事に感じるようなものです。
石炭から発生するコールタール、石油から発生するアスファルト、においも似通っています。決して心地良いものではありませんが、どこか遠い昔を思い出させるような感じを覚えます。
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麻生山田炭鉱は、松石(珪化木=石炭になり損なった木の化石)が多かったことが閉山の一つの要因と言われています。
花壇を造る石垣には、大きな松石がたくさん利用されていました。
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少し離れた野球グラウンドの側にも遺構が残っていました。
開発が行われているようでしたが、今も残っているのでしょか?

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近くの交差点の名は「山の神」。
鉱山町の歴史を残すような地名が残っているようです。
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国土交通省の空中写真(S47年)でみると、大きなボタ山であったことが確認できます。
中央左から右上に延びているのは、新幹線の高架橋です。
訪問した時にはすでに炭鉱住宅らしきものはなく、真新しい戸建て住宅が建つ町になっていました。
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今、せっかく福岡に居るのですから、筑豊辺りも散策しようと思ってはいるのですが、筑豊・筑後といった場所のイメージが頭の中で整理できず、距離感が掴めずにいます。
まずは、出かけてみることでしょうね!


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