2010年09月01日 23:48

帝政ロシア領事館跡(長崎市南山手町)


『居留地にロシアの領土がある・・・。』

マリア園を通り過ぎ、グラバー園に向かって進んでいくと何か雑然とした建物と、意味深な案内板。

案内板には、「この土地はロシア領地なので、勝手な使用は許さん!ロシア大使 アレキサンダー ニコライビィッチ パーノフ」みたいなことが書いてある。
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ちょっと気になって調べてみたら、この場所には帝政ロシア時代の1875~1917年にロシア領事館があったが、日露戦争にも敗れ帝政ロシアが崩壊。
その後、ほったらかしのこの土地に日本人が家を建て住むようになった。
ところが、1987年に旧ソ連政府がここはソ連の土地だと所有権を保存登記。
旧ソ連崩壊後は、ロシア政府がそのまま所有権を引き継いだとして、無断使用の賠償金と明け渡しを要求、永きに渡り裁判となる。
何とか平成19年に裁判所の和解勧告をロシア、住民双方が受け入れ、住民が和解金を支払うことによって一応の決着となる。
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詳しい経緯は分からないが、所有権の保存登記を法務省もすんなりと受理したんだろうか?
そんな事言い出したら、北方領土は日本が所有権の登記くらいはしているだろうし・・・。
更に遡れば、キリスト教伝来時の長崎はイエズス会に寄進されていたから、今もフランス領だろ!みたいな話もありな気がする・・・。
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これ以上余計な話をして、KGBに連行されてはいけないので領土問題の話はやめときます(笑)。

どなたか勇気のある方、アレキサンダー ニコライビィッチ パーノフさんか顧問弁護士に古い看板は撤去するよう連絡して下さい。

ひょっとして、まだ係争中?



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コメント一覧

4. Posted by ちび太郎   2010年09月12日 21:53
Ten 様

こんばんは。
歴史ある場所が通学路だったなんて、羨ましい限りです。
そうは言っても子供にとっては、そんな事は関係なく友達と話し、笑い、走った
なんてことが大切な思い出なんでしょうけどね。
海洋気象台も長い歴史と、今も重要な役割を担う気象台ですね。
グラーバー園を通り過ぎた先に、いろんな歴史ものが転がっていてさるくのも
楽しいです。
3. Posted by Ten   2010年09月08日 17:22
お久しぶりです。

この家の近くに友人が住んでいました…
大丈夫だったかなぁ。

本当に懐かしい写真ばかりです。私のつぼに入っています。
中学校時代に登下校したときの道です。

正面に見える大きな建物が海洋気象台ですよね。
そこでも友達と遊んでいました。

時にはゆっくりと散策して見たいものです。

浪の平・東琴平・南山手地区から引っ越してしまい、残念です。
2. Posted by ちび太郎   2010年09月02日 23:38
サルルさま

こんばんは。
この裁判は有名だと言われていますが、私、全然知りませんでした。

8月はあまりの暑さでさるく気にもならず、古い写真でつないでいました。
9月になってもまだまだ暑くてたまりません。
1. Posted by サルル   2010年09月02日 22:11
大魯西亜帝國にしては意外と小さいなぁ~(^^;
KGBに連行は嫌なんでここらで止めておこう(笑)

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