2009年09月11日 20:05

烏帽子坑(熊本県天草市牛深町)

撮影:2009(H21).08.30

「これが一番見たかった・・・!!」

今回の「爆走天草編」、この眼で一番見たかったものにやっと辿り着きました(笑)。

天草は下須島、牛深町小森の海上200mにある「天草炭業株式會社 烏帽子坑」。

烏帽子瀬と言われる岩礁の上に造られた炭鉱遺構。石積みとレンガ積みの不思議な光景に眠気も吹っ飛び、しばし呆然と立ち尽くしてしまいました。

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烏帽子坑坑口と容易に対峙できる場所は、海岸線に沿って走る山腹の道路。
立派な説明板が設置してありますが、展望所と言えるほどの場所ではありません。
写真中央、金色の説明板には烏帽子坑のことが次のように記されています。

天草市指定文化財 烏帽子坑跡 指定平成4年12月2日 所有者 天草市

烏帽子坑跡は、明治三十年頃に創業した海底炭鉱跡である。キラ炭と呼ばれる高カロリーの石炭を産出し、煙を出さない「無煙炭」として海軍からも重宝されていたが、湧水に悩まされ事業は数年で停止している。
赤レンガなどで構築された坑口は、その後方に見える石積みの防波堤により波の浸蝕にも耐え、百年を超える今も海上にその勇姿を留めている。
平成21年3月 天草市教育委員会

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ガードレールに身を寄せ、夏草の生い茂る先を覗き込むと烏帽子坑が見えます。
「あれだぁ?」って感じです。
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烏帽子坑坑口(高さ6・5メートル、幅約3メートル)から、坑道は海中へと傾斜、地下50メートルまで続いているそうです。
軍事用の無煙炭採掘はすべて手作業、湧(ゆう)水処理も手作業で行われたそうです。

この場所でその方法じゃ坑道の水没は免れない気がしますが・・・。

どの炭鉱でも採掘時の湧水は、採炭作業の停止のみならず、人命に関わる大きな災害の要因となっており、いかに湧水対策を行うかが課題でした。

三池炭鉱では1983(M24)年に巨費を投じ、英国から「デビーポンプ」を輸入設置したことにより湧水を克服、のちの鉱山開発、増産が可能となりました。

大手資本が参入していない天草の炭鉱では、そのような設備を導入することは無理なことであり、人命よりも採炭が優先されたのかも知れません。
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坑口を守るため、岩礁を利用した高さ6メートルの防波堤が造られていましたが近年は亀裂が走り、また坑口の天井アーチ部分の要石(縦45センチ、横37センチ)も落下するなど老朽化が著しく、どちらもいつ崩れてもおかしくない状況となっていたようです。

このため、天草市は2007年12月から保存工事に着手。要石を元に戻し、亀裂の広がりを防ぐため、天井と土台の2か所にステンレス製の棒を通し、壁を挟むように両端をプレートとボルトで固定する修復作業を行っています。

壊れた赤レンガも組み直し、石組み土台のすき間はモルタル補修を行っています。応急処置的な対応ですが、まずは崩れる危険性からは回避できたようです。
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坑口と防波堤のアップ写真。
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漁港から見る風景です。
泳いで行けるような距離に烏帽子瀬はあります。
この日もシーカヤックで上陸している方がいました。

陸から斜坑を掘らなかったこと、坑口への入坑方法、石炭の搬出方法など興味が尽きない烏帽子坑です。
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ぼんやり烏帽子坑を眺めながめていると、湧水と盤ぶくれのために閉山し、だだの岩礁となった香焼の「横島炭鉱」 (横島の記事はこちら・内部リンク←)を重ねてしまいました。

日本の近代化を支えた石炭、100年を越える荒波にも耐えてきた烏帽子坑。
歴史を後世に伝える証人として、ずっと残して欲しい遺構です。
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本日は写真にテキストまで記入するという熱の入れようでした。

とうとう天草の南端まで来てしまいました。
あとは元の道を北上して帰るだけなのですが・・・

まだまだ「爆走天草編」は続きます!




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コメント一覧

14. Posted by ちび太郎   2009年11月29日 22:42
leanne Brezina さま

こんばんは!
先日は私の拙ブログにコメント頂きありがとうございました。

長崎と天草は昔からキリスト教をはじめとして深いつながりがあります。
教会建築で有名な長崎の鉄川与助が天草に建てた、「崎津天主堂」「大江天主堂」を見たくて訪れたところでした。
烏帽子炭鉱はその特異な姿を直に見ることができ、感激でした!

ところでleanne Brezina さまのブログを興味深く拝見しました。
シーカヤックは波静かな湾や、穏やかな天気の日にやるものだと思っていましたが、かなり波が荒い日も漕ぎ出すのですね!

これからもよろしくお願いします。
13. Posted by leanne Brezina   2009年11月25日 22:14
ブログの写真は綺麗です。私たちも天草住まいが、いつもカヤックで烏帽子瀬の辺で漕いでいます。烏帽子の歴史も面白いです。100年後はまだそのままあるのかな?
私たちのブログで烏帽子瀬の歴史について英語で訳しました。良かった見てください。宜しく。
Leanne
12. Posted by ちび太郎   2009年09月12日 22:01
Cape Light 様
私の拙ブログ、ご覧頂きありがとうございます。
長崎は「軍艦島」や「教会群」を世界遺産に登録することで盛り上がっています。
歌手の福山雅治も軍艦島を撮った写真展を県美術館で開催、8月末には10数年ぶりに
故郷長崎でコンサートを行ってます。
来年はNHKの大河ドラマで坂本竜馬を主演するとか・・・。
軍艦島は廃墟の聖地みたいな言われかたもしますが、私的には石炭を採掘する
ために多くの人間が活きていた事に関心があります。
ただ、今は建築上価値あるアパート群を含め島を保存するということが中心になる
のは仕方ないことだと思いますが・・・。
一貫性のない、ちゃんぽんブログですがお暇なときにでも覗いていただければ幸いです。
11. Posted by ちび太郎   2009年09月12日 21:30
kazunoichi 様
お疲れ様です。
お忙しい中、いつもご覧頂き、コメも多く本当にありがとうございます。
特にブログランキングなどに一喜一憂する気もない私のブログ。
あくまでも私の趣味の世界。
お暇な時に、好きにいじって頂ければ幸せです。
「爆走天草」も残すところあと2回の予定です。
「どんでんがえし」どうしましょう・・・!
後は私がうっ倒れるくらいしか、残ってないんだけどなぁ。
10. Posted by Cape Light   2009年09月12日 16:51
おはようございます。
先日は、私のブログに遊びにきていただきましてありがとうございました。
炭鉱の遺跡の写真、興味深く拝見させていただきました。
かなり前になりますが、テレビのCMで、人工島のような島に廃墟と化した高層の建物が並んでいるのを見て、当初は中国かアジアの国だと思っていたのが、実は日本の長崎であったということをかなりあとになって知りました。名称も軍艦島。
日本にこういうものが炭鉱のために建設されていたことにかなり驚きましたです。
海底の石炭を掘るために海の上に入り口を石積みで造るなんて、かなりの技術ですね。
しかし、年月と共に、風化し、地表にあるものは、植物に覆われ、海上にあるものは崩れ去ろうとしています。
当時の人々の熱意が伝わってきそうな墓標、いつまでも歴史の中の物語として保存していただきたいものですね。
9. Posted by kazunoichi   2009年09月12日 15:03
人間の創作した物って、
歳を重ねるごとに風化し、朽ちていきます。
それでも、明治30年と言えば西暦で言うところの1897年。
およそ110年ほど前の施設。
その時代の巨大建築物が今でも見られることに、ある種の幸運も。
『あれ』
謎が解けました (^?^)
『さすが』です。
この爆走編、納得の力量を感じます。
いろんな意味ひっくるめて、ありがとうございます。
さて佳境に入っていく今回の連載。
最後、何か『どんでん返し』が待っていそうで楽しみです。
最近はワタシの時間上、携帯から伺うことが多いですので、なかなかコメント残せませんm(__)m
あまり気にもしてないでしょうが、ご理解くださいませ (^?^)
8. Posted by ちび太郎   2009年09月12日 09:28
超問 様
おはようございます。
私も施工時や操業時の写真を見てみたいと思うのですが、未だ見ることができません。
操業期間も短く、労働者の数も少なかったため史実が残っていないのかも知れませんね。
せめて水没しない岩礁部分に竪坑なら分かるのですが・・・。
7. Posted by ちび太郎   2009年09月12日 09:15
takeppe 様
コメントありがとうございます。
元々は赤土に松やにを混ぜて接合しているそうです。
赤土は簡単に手に入るような気もしますが、松やにはどこからどれほど用意したのでしょうか。
自然の材料で100年を越えて持ちこたえる、昔の人の知恵はすごいものです。
6. Posted by ちび太郎   2009年09月12日 09:07
tairiku 様
おはようございます。
二週間前のネタを延々と引っ張ってます(笑)
露頭があったのでしょうが、岩礁によくぞここまで造ったものです。
明治の技術力には驚かされます。
5. Posted by ちび太郎   2009年09月12日 09:02
サルル様
おはようございます。
写真で何度も見てましたが、実物はやっぱり感動ものでした。
潮が満ちると基礎部分は完全に海の中、どのような方法で築いたんでしょうかね?
4. Posted by 超問です。   2009年09月12日 08:16
私も一度行ってみたいと思っている場所です。
海を埋め立てて場所を設け、そこから採炭を行うのが普通かと勝手に思ってしまいますが、防波堤のみでよく採炭が出来たなあと思います。
往時の写真があれば見てみたいです。
3. Posted by takeppe   2009年09月12日 00:01
これはまったく知りませんでした。
これこそ世界遺産級の遺構ではないでしょうか。
しかし、海水のかかるところでモルタル補修では、またすぐくずれそうですね・・・
2. Posted by tairiku   2009年09月11日 22:36
こんな所に炭鉱の入り口があるなんてびっくりです。
それにしてもここの海底に石炭があるなんて
どうやって分かったんでしょうね。
とても貴重なものを見せて頂いた気がします^^
1. Posted by サルル   2009年09月11日 19:50
天草いろんな炭坑があったんですね。
大変勉強になりました。坑口と防波堤は味がありますね。

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