2009年08月14日 01:03

64回目の長崎原爆忌(長崎市・浦上天主堂)

※数日前よりブログ運営者様のシステム障害により、投稿済の記事消去、記事・コメントの新規更新が出来ない状況になっておりましたことお詫び申し上げます。
消えた記事を思い出しながら、再度更新させていただきます。


「ピカドンと浦上天主堂」

「私の顔や手をよく見てください。よく見てください。世界の人々、そしてこれから生まれてくる人々、 子どもたちに、私たちのようにこのような被爆者に、核兵器による死と苦しみをたとえ1人たりとも許してはならないのであります。 核兵器による死と苦しみは私たちを最後にするよう、国連が厳粛に誓約してくださるよう心からお願いをいたします。
私ども被爆者は訴えます。命のある限り私は訴え続けます。ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ウォー、ノーモア・ヒバクシャ、ありがとうございました。」


(1982年国連軍縮特別総会 反核平和運動家である被爆者山口仙二氏の演説より)


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長崎における原子爆弾の投下とその惨劇、それは20世紀の悪魔の仕業とでも言うべきか。
けれどもそれはたんに悲劇として、過去の歴史の中に埋もれてはならない。
古都長崎が現代に生きるために、新しい整序をもち始めた歴史的起点、その一つは明治維新、いま一つは原爆というふうにさえ考えられるからである。


熱線を浴びた天使胸像があの日と同じ青空を見上げていた。
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直径5.5m、重さ30トンの鐘楼ドームが、爆風により35mも吹き飛ばされた。被爆時のまま残された唯一の遺構。
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被災前の天主堂は浦上のカトリック教徒たちが、1895年から赤レンガを一枚ヅツ積み上げて30年の歳月をかけて建てられ、東洋一の威容を誇る大聖堂であった。
1945年8月9日午前11時2分、一発の原子爆弾により一瞬にして破壊された天主堂は数本の石柱とまわりのレンガの遺壁を残すのみであった。
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