2024年08月20日 22:34

2024 夏 長崎(大崎町海岸)

撮影日:2024(R6).08.08

『前からバスが来ませんように・・・』

今日は「大崎町の海岸」です。

県道34号、宮摺から大崎・千々までは1.5車線程度の狭い道が続き、見通しの悪いカーブが連続します。
今でこそ県道は網場町から野母崎町まで繋がっていますが、宮摺から大崎・千々間の道路は昭和36年(1961年)から5年間かけ林道を整備し、昭和46 年(1971年)に県道となっています。
建設省の主要地方道としての指定も平成5年(1993年)なので道路としての歴史は古くありません。
今も拡幅工事や災害復旧工事が行われていることから、いかに急峻な斜面での道路整備が困難であるかを知ることができます。
s-DSC04399


では、道路が整備される前の交通手段は、昭和初期には茂木と大崎・千々間に5.6トンの発動機船1隻が人だけでなく日用品や農産物、農業資材などを運んでいたそうです。
昭和29年(1954年)に「茂木交通有限会社」が設立され、5.6 トンの発動機船 3 隻が、茂木~大崎~千々(乗降客の有る場合、宮摺にも寄港する。)に1日3回運航され、茂木港からの時間・運賃は、宮摺20分20円、大崎30分40円、千々40分50円であったと記録されています。
さらに千々から、藤田尾、為石、樺島への航路があったことから、野母半島の千々石湾(橘湾)沿岸の集落は船を交通手段とする陸の孤島だったことが分かります。
mogikoutuu
※茂木支所作成「茂木のあゆみ」より引用

後のバス路線の拡大は昭和39年(1964年)11月 2日 宮摺~大崎 、昭和43年(1968年)11月 11日 大崎~千々と記録されています。

それでは県道から大崎町集落の狭く急な坂を下って海岸に向かいます。
訪れた時はちょうど満潮時でした。
A89A8120


干潮になると堤防下にはきれいな砂浜が現れます。
A89A8122


反対側(宮摺方向)の堤防の奥には満潮時でも砂浜があることが確認できます。
A89A8123


職場の野球チームで一晩キャンプに来たのは大崎海岸だったような・・・。
バカ騒ぎした遠い昔の楽しい夜をふと思い出しました。
次回は千々です!

※写真はクリックすると拡大できます。





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