2022年06月13日 12:00

池島炭鉱のいま・門柱と名板(長崎市池島町)

撮影日:2022(R4).04.09

『ここに会社がありました!』

大きさが異なる山を模したような三角錐の門柱。花崗岩を切り出した石積みでしょうか?
埋め込まれた名板には「松島炭鉱株式会社 池島鉱業所」。
この島に大企業が巨額の投資を行い、多くの労働者を雇用し石炭事業を行っていた証です。
池島炭鉱は1960年代に操業を開始した新しい炭鉱であり、島という隔離された場所であったからでしょうか、入口は一般的な門扉を構えるような造りではなく、傍に守衛室もなく、明るく近代的なイメージの門柱となっています。

2022.04
現在は、上部にある総合事務所や立坑への無断立ち入りを禁じるためロープが張られ、伐採された木々が積み上げられ通路の存在を隠しています。
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2008.08
前年度まで炭鉱技術移転五カ年計画が行われていたこともあり、総合事務所は利用されていた思います。通路はまだ封鎖されていませんでした。
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2022.04
現在も「鉱業所」のバス停は残っています。
昔は大型バス、今は幼稚園の送迎で使われるようなコミュニティバスが運行しています。
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2022.04
船の便に合わせてあるのか、時間帯によっては便数が多いような気がします。
ここで下車する人が多いとは思えませんが、それでも「鉱業所」というバス停が残っていることは嬉しく感じます。
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2008.02
こちらは三池炭鉱(大牟田市)の三川坑に残る正門と名板です。三川坑は昭和天皇のご入坑があり、戦後復興となる多くの石炭を生産しました。
また「総資本対総労働」が激突した三池争議の舞台であり、戦後最大の炭じん爆発事故があった場所としても知られています。
現在は大牟田市近代化産業遺産として正門は保存、内部の斜坑なども見学できるよう整備されています。
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炭鉱が閉山するといわゆる箱モノと呼ばれる施設は老朽化も含めその殆どが解体されます。
一部、炭鉱のシンボルと呼ばれる竪坑櫓などが歴史の証人として保存されることはあっても、社有地自体が処分されるため門柱が残ことは稀だと思います。
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2006.12
三井三池炭鉱最後の山「有明鉱」1997年閉山。
観音開きの鉄扉、内には守衛室。
現在はソーラー発電所となり、炭鉱施設は何一つ残っていません。
2006.12.10・有明鉱 008


池島に残る「松島炭鉱株式会社 池島鉱業所」の門柱と名板。
将来、会社の施設や敷地管理の手段が変わると撤去されてしまうことも考えられます。
今日はここに会社があったことのお話でした。




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