2024年04月08日 14:00

撮影日:2024(R6).04.06

『天空の桜並木』

転勤生活で高速大分道を利用していた頃から気になっていた朝倉市の「夕月神社」。
春は斜面を昇る様に咲き乱れる桜並木が、車窓からとても綺麗に見えていました。
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参道には古木の桜が約200本が並んでいます。
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すでに桜は半分ほど散っていましたが、花びらのジュータンが良い感じでした。
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参道を上りきると立派な神社と狛犬がありました。
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朝倉市に甚大な被害をもたらした平成29年7月の九州北部豪雨災害から7年、やっと夕月神社までの道路が使えるようになり(朝倉市の復旧工事はまだ続いています)今年は夜桜の催しも行われたようです。

「以下、朝倉市のHPより引用」
大分自動車道杷木ICの北側の丘陵地にある夕月城跡に夕月神社があります。鳥居から本殿までの約120mの参道に約200本の桜(ソメイヨシノ)が植栽されてあり、「天空の桜並木」ともいわれます。毎年4月上旬になると、地元ボランティアの方々によって竹を使った灯篭などが参道に設置され、桜のライトアップも楽しめます。また例年、桜が満開の頃に「桜まつり」が行われ、野点や猪汁が振る舞われます。※2024年は7年振りの開催
夕月神社は、戦国時代のお城の跡だと推測されています。文献などにも「夕月城」は出ていないので、はっきりとしたことはわかっていません。現在でも、お城の空堀りの跡を見ることができます。


2023年09月14日 12:00

撮影日:2023(R5).09.09

『関東大震災の状況を欧州へ送信した無線塔』

旧佐世保無線電信所(通称・針尾送信所)は2013年(平成25)に国指定重要文化財に指定され、「針尾無線塔保存会」の方々による施設管理・見学ガイド等が行われています。
駐車場、管理事務所、トイレ、施設パンフレット、清涼飲料水の自販機が整備され、時には地元野菜の販売も行われています。

3基の無線塔のうち1号塔(掘削調査が実施された)と3号塔は間近に見学ができます。特に3号塔は入口が解放されており塔内部の見学が可能です。2号塔は私有地に隣接しているため、立入禁止区域となっています。

「3号無線塔」
広角レンズがないと近接からの全体像は撮影できません。
今回は10mm広角レンズを持参し撮影しました。
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円周状に縦約1.37mの木を縦に並べた型枠の跡が鮮明に残っています。型枠を100回積み上げて137mの頂上に到達したのです。
コンクリートの材料として海砂は使用せず川の砂や石をさらに真水で洗って使用し、長時間かけて突きたたく工法により塩害やコンクリートの中性化による劣化進行を防いでいます。
爆裂が起き急速に劣化が進行する軍艦島のRC構造物とは状態が大きく異なりますね。
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3号塔は針尾瀬戸、新西海橋を望みます。
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内部から上部を眺めます。あまりの高さに首が・・・。
窓からの光が環になって続きます。
内部にも木枠の跡が鮮明に残っています。
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ウインチや防振装置が残されています。
頂上へは壁面の梯子を壁側から取りつき上っていきます。円錐状になっているので高く上るほど視点が底に向かい恐怖心が増すような気がします。
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3号塔説明板
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晴れた日は対岸の大村市からも3つの塔が確認できます。
塔を遮るものがなく、遠くからでも「あれは一体なんだ!?」と思う異様な建物です。
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針尾送信所に関する最も有名な出来事は、1941年(昭和16)12月、日本海軍がハワイ真珠湾のアメリカ軍への奇襲攻撃を命じる暗号電文「ニイタカヤマノボレ1208」を中継したことでしょう。
この暗号が針尾送信所から送信されたのかについては諸説あり定かではないようですが、防衛研究所によると連合艦隊旗艦「長門」から発した「ニイタカヤマノボレ1208」の暗号を中継して中国大陸や南方に送信したと言われています。
また、今回の見学の際に市文化財課の学芸員の方より、「100年前に発生した関東大震災の情報は、針尾送信所より欧州に向けて送信されました」と説明がありました。
関東大震災の発生日は1923年(大正12)9月1日、針尾送信所が完成したのは1922年、長波通信が主流であった当時を考えると、針尾から送信されたことは理にかなっています。

本日は大正時代の塔状コンクリート構造物として唯一現存する針尾送信所無線塔の話でした。



2023年09月13日 12:00

撮影日:2023(R5).09.09

『-灰塔の礎 出現-』

旧佐世保無線電信所(通称・針尾送信所)施設は、旧日本海軍が1918年(大正7)から1922年(大正11)まで4年の歳月と総工費155万円(現在の約250億円)の巨費を投じ建設した長波通信の送信施設である。

今はのどかなミカン畑に囲まれる敷地内には、高さ136mの鉄筋コンクリート製の無線塔が3基、300m間隔の正方形を形どりそびえ立ち、その中心部には鉄筋コンクリート造りの電信室が現存する。

昨年より建設から100年を経過し将来に向けての保存・維持に向けた実地調査が行われている。分かりやすく例えると文化財の健康診断で令和8年度まで実施される。
今回、詳細な図面等が現存しない136mの無線塔の基礎がどのようになっているのか、形状はどのようになっているのか、コンクリート内部の鉄筋の状態はどのようになっているのかを確認するため、建設から101年目にして初めての掘削調査が行われ、9月9日・10日の2日間に限り一般への特別公開が実施されたので見学してきた。

関心度も高く県外ナンバーの車も多かった。見学待ちの列が続く。
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1号無線塔と見学用デッキ。25名程度がデッキに上がり見学する。
文化財保護課担当者から分かりやすい説明を聞きながら地中を覗き込んだ。

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掘削は1号無線塔で地下6mまで実施。そこには強固な岩盤が存在し、その上に裏返した皿のような基礎が確認された。
また、コンクリートを10数センチ斫った部分(コンクリートの色が異なる部分)からは劣化することない鉄筋が確認されている。
塔136mに対し思ったより厚さ幅共に短い気がしたが、強固な岩盤と緻密な構造計算により微動だにすることなく塔は今も立ち続けている。当時の建築技術の高さを伺い知ることができる。

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調査終了後、掘削現場は埋め戻されるとのこと。
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戦争遺構であり近代化遺産。
土木、無線技術、歴史的にみて重要な施設、これからも大切に保存されることを願います。



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