2024年09月30日 15:00
撮影日:2024(R6).08.08
『神の聖域がある海水浴場』
「岳路海水浴場」
岳路海水浴場はその背後地に砂丘の松林を有し、その中に三波神社がまつられている。
この神社では年中行事として神送り、神まちの祭りが行われ、岳路海水浴場の背後地は聖域的要素がある。
ここでの海水浴場として桟敷が開設されたのは、昭和45年(1970)からで、旧村合併時において地上権をもつ岳路部落(現自治会)が個人業者に貸付けた桟敷4がある。
この海水浴場は白い砂浜であり、家族的な海水浴場として年々増加し親しまれている。
(国立国会図書館デジタルコレクション「三和町郷土誌」昭和61年発行より引用)
現在の岳路海水浴場。30台程の駐車場とトイレ&足洗い場の施設があります。
目の前の島は「田子島」、遠くに軍艦島、中ノ島、高島が見えます。

右に振ると伊王島が見えます。

「野母半島県立公園 岳路海水浴場」の看板。
趣があって良いですね。
樹々の中に「三浪神社」があります。

1975年(昭和50年)の航空写真。桟敷5棟が確認できます。
(国土地理院 空中写真閲覧サービスより引用)

1985年(昭和60年)の写真でしょうか、海水浴客で賑わっていますね。
40年前・・・今とは比較にならないほど世の中が活気に満ちていた気がします。
「三和町郷土誌」より

三浪(岳路)神社は2か所あり、海に隣接するこちらを「浜の三浪神社」、里の方にあるのを「山の三浪神社」と呼びます。隠れキリシタン信仰とも関りがある神社です。
境内はきれいに管理されていました。

夕陽でも眺めながらぼんやり過ごすのが良さそうな岳路海水浴場でした。
過去記事 → クリック
海岸巡り、残すはあと1か所です。
『神の聖域がある海水浴場』
「岳路海水浴場」
岳路海水浴場はその背後地に砂丘の松林を有し、その中に三波神社がまつられている。
この神社では年中行事として神送り、神まちの祭りが行われ、岳路海水浴場の背後地は聖域的要素がある。
ここでの海水浴場として桟敷が開設されたのは、昭和45年(1970)からで、旧村合併時において地上権をもつ岳路部落(現自治会)が個人業者に貸付けた桟敷4がある。
この海水浴場は白い砂浜であり、家族的な海水浴場として年々増加し親しまれている。
(国立国会図書館デジタルコレクション「三和町郷土誌」昭和61年発行より引用)
現在の岳路海水浴場。30台程の駐車場とトイレ&足洗い場の施設があります。
目の前の島は「田子島」、遠くに軍艦島、中ノ島、高島が見えます。

右に振ると伊王島が見えます。

「野母半島県立公園 岳路海水浴場」の看板。
趣があって良いですね。
樹々の中に「三浪神社」があります。

1975年(昭和50年)の航空写真。桟敷5棟が確認できます。
(国土地理院 空中写真閲覧サービスより引用)

1985年(昭和60年)の写真でしょうか、海水浴客で賑わっていますね。
40年前・・・今とは比較にならないほど世の中が活気に満ちていた気がします。
「三和町郷土誌」より

三浪(岳路)神社は2か所あり、海に隣接するこちらを「浜の三浪神社」、里の方にあるのを「山の三浪神社」と呼びます。隠れキリシタン信仰とも関りがある神社です。
境内はきれいに管理されていました。

夕陽でも眺めながらぼんやり過ごすのが良さそうな岳路海水浴場でした。
過去記事 → クリック
海岸巡り、残すはあと1か所です。
2024年09月29日 23:00
2024年09月22日 22:20
撮影日:2024(R6).08.08
『バス停は「脇岬海水浴場前」』
夏 納涼 海水浴場
「東望の浜」「ねずみ島」「福田遊園地」「川原」「時津」「宮摺」「茂木立石」「横島(諫早市)」「小江」「小白浜」「長崎水族館」「小島(高島町)「高浜」「脇岬」「柳海(大瀬戸町多以良)」「大草」「長浜(国見町神代)」
(昭和41年(1966年)7月1日 発行の「長崎への招待」第2版より引用)
当時の海水浴場と、現在タウン誌などで紹介される海水浴場では大きく違いますね。
当時から浜木綿とロングビーチで有名な脇岬海水浴場
右の緑は「樺島」です。

脇岬海水浴場は「ウインドサーフィンのメッカ・・・」と紹介されています。
今日もサーファーがお一人います。

バス停は「脇岬海水浴場前」。
後ろにあった浮き輪や食事を提供していたお店は潰れたようですね。
長崎(野母)半島でバス停名に「海水浴場」と名の付くものは、「脇岬海水浴場前」「高浜海水浴場前」「岳路海水浴場入口」の3か所のみです。

景色は昔と変わりません。

道路の渋滞、海水浴客で賑わう夏の風景はなくなりました。

2024 夏 長崎 残す海水浴場はあと2つとなりました。
『バス停は「脇岬海水浴場前」』
夏 納涼 海水浴場
「東望の浜」「ねずみ島」「福田遊園地」「川原」「時津」「宮摺」「茂木立石」「横島(諫早市)」「小江」「小白浜」「長崎水族館」「小島(高島町)「高浜」「脇岬」「柳海(大瀬戸町多以良)」「大草」「長浜(国見町神代)」
(昭和41年(1966年)7月1日 発行の「長崎への招待」第2版より引用)
当時の海水浴場と、現在タウン誌などで紹介される海水浴場では大きく違いますね。
当時から浜木綿とロングビーチで有名な脇岬海水浴場
右の緑は「樺島」です。

脇岬海水浴場は「ウインドサーフィンのメッカ・・・」と紹介されています。
今日もサーファーがお一人います。

バス停は「脇岬海水浴場前」。
後ろにあった浮き輪や食事を提供していたお店は潰れたようですね。
長崎(野母)半島でバス停名に「海水浴場」と名の付くものは、「脇岬海水浴場前」「高浜海水浴場前」「岳路海水浴場入口」の3か所のみです。

景色は昔と変わりません。

道路の渋滞、海水浴客で賑わう夏の風景はなくなりました。

2024 夏 長崎 残す海水浴場はあと2つとなりました。
