2024年08月26日 12:00
撮影日:2024(R6).08.08
『暑過ぎてだれもいない・・・?』
シーズンの行楽 夏 納涼
海水浴 「川原」 西彼三和町
長崎バス、大波止より60分 松林の中に、大蛇の伝説で有名な川原池と海水浴場に分れ、特に海辺の蛇紋石が美しい。7月上旬から9月上旬まで。
昭和41年(1966年)7月1日 発行の「長崎への招待」第2版より引用)
蛇紋岩はかんらん岩が水を含んで変質してできた濃緑色の岩石。
川原本村海浜と川原海水浴場一帯はこの蛇紋岩の礫だけでなる円礫浜は日本でも珍しく貴重なものだそうです。
下の写真は前回記事の本村海岸、クリックして拡大すると丸い石が堆積していることが分かります。
川原海水浴場。潮が引くと円礫が現れます。
砂と円礫が入り混じっている状態です。
野母崎側の堤防は良型が上がる釣り場、いつも釣り人で賑わっています。
右側には区画された無料(要申請)のキャンプ場があります。
やっと海水浴場らしい売店や遊具の貸し出しを見つけました!
昭和50年(1975年)の航空写真を見ると10棟ほどの桟敷が並び、人気の海水浴場だったことが分かります。
(国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスより)
池の御前神社 海側から一の鳥居と二の鳥居
大池側に振り返り三の鳥居と奥に社殿
社殿は建て替えられまだ新しい。祭神は豊玉比古命、豊玉比売命。
由緒は当地の領主・河原大蔵太夫高満が正暦5年(994年)11月に愛娘阿池(おち)姫の冥福を祈念するために建立したという伝説があります。
木製の表示板は趣がありますね。
以下、阿池姫伝説の詳細説明板
川原大池は広さ約13ha、周囲約1.9km、最大水深約9mの県内最大の天然湖。
海水浴場に人影はなく、子供たちの声がこだまする林間学校、臨海学校としての賑わいも遠い昔の思い出となりました。
蛇紋石の崖や大岩はここより野母側、川原木場の海岸に在るのでいつか立ち寄りたいと思います。
次回は野母崎です!
『暑過ぎてだれもいない・・・?』
シーズンの行楽 夏 納涼
海水浴 「川原」 西彼三和町
長崎バス、大波止より60分 松林の中に、大蛇の伝説で有名な川原池と海水浴場に分れ、特に海辺の蛇紋石が美しい。7月上旬から9月上旬まで。
昭和41年(1966年)7月1日 発行の「長崎への招待」第2版より引用)
蛇紋岩はかんらん岩が水を含んで変質してできた濃緑色の岩石。
川原本村海浜と川原海水浴場一帯はこの蛇紋岩の礫だけでなる円礫浜は日本でも珍しく貴重なものだそうです。
下の写真は前回記事の本村海岸、クリックして拡大すると丸い石が堆積していることが分かります。
川原海水浴場。潮が引くと円礫が現れます。
砂と円礫が入り混じっている状態です。
野母崎側の堤防は良型が上がる釣り場、いつも釣り人で賑わっています。
右側には区画された無料(要申請)のキャンプ場があります。
やっと海水浴場らしい売店や遊具の貸し出しを見つけました!
昭和50年(1975年)の航空写真を見ると10棟ほどの桟敷が並び、人気の海水浴場だったことが分かります。
(国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスより)
池の御前神社 海側から一の鳥居と二の鳥居
大池側に振り返り三の鳥居と奥に社殿
社殿は建て替えられまだ新しい。祭神は豊玉比古命、豊玉比売命。
由緒は当地の領主・河原大蔵太夫高満が正暦5年(994年)11月に愛娘阿池(おち)姫の冥福を祈念するために建立したという伝説があります。
木製の表示板は趣がありますね。
以下、阿池姫伝説の詳細説明板
川原大池は広さ約13ha、周囲約1.9km、最大水深約9mの県内最大の天然湖。
海水浴場に人影はなく、子供たちの声がこだまする林間学校、臨海学校としての賑わいも遠い昔の思い出となりました。
蛇紋石の崖や大岩はここより野母側、川原木場の海岸に在るのでいつか立ち寄りたいと思います。
次回は野母崎です!
2024年08月23日 12:00
撮影日:2024(R6).08.08
『現在、西彼杵郡に属する町は?』
今日は「為石町の海岸」です。
千々町を過ぎると県道は見通しの良い二車線に変わります。お隣りの「藤田尾町」には立ち寄らず、為石町に向かいます。
メボシ崎手前から見る天草灘です。
為石町は昭和30年(1955年)に蚊焼村、川原村、為石村の三村が合併して、長崎県西彼杵郡三和町(さんわちょう)となりました。
その後50年を経た平成17年(2005年)、三和町は長崎市に編入されたため自治体としては消滅しています。
旧三和町周辺には「三和体育館」、「三和交番」、「長崎市立三和中学校」、「三和中央病院」など「三和」の名称がある施設が今も複数残っています。
また、こことは別に昭和24年(1949年)土井の首の一部が同じ名前の三和町になっています。こちらは土井部落、上郷部落、迫部落が合併して三和町となり現在に至ります。
中央右の白い2階建ては「為石地区公民館」、右上の白い大きな建物は「為石小学校」、左端にある大きな建物は「長崎市営須浜住宅」です。
須浜住宅は海に面し、弧を描いたモダンな構造になっています。為石漁港も隣接しています。
為石漁港を通過し、川原本村の海岸です。
明治期、西彼杵郡の群域は長崎市の大部分、諫早市の一部、西海市の全域をカバーする広い範囲でした。
現在、西彼杵郡は長与町、時津町のみが単独で行政を行っています。
次はお隣りの川原海水浴場です。
『現在、西彼杵郡に属する町は?』
今日は「為石町の海岸」です。
千々町を過ぎると県道は見通しの良い二車線に変わります。お隣りの「藤田尾町」には立ち寄らず、為石町に向かいます。
メボシ崎手前から見る天草灘です。
為石町は昭和30年(1955年)に蚊焼村、川原村、為石村の三村が合併して、長崎県西彼杵郡三和町(さんわちょう)となりました。
その後50年を経た平成17年(2005年)、三和町は長崎市に編入されたため自治体としては消滅しています。
旧三和町周辺には「三和体育館」、「三和交番」、「長崎市立三和中学校」、「三和中央病院」など「三和」の名称がある施設が今も複数残っています。
また、こことは別に昭和24年(1949年)土井の首の一部が同じ名前の三和町になっています。こちらは土井部落、上郷部落、迫部落が合併して三和町となり現在に至ります。
中央右の白い2階建ては「為石地区公民館」、右上の白い大きな建物は「為石小学校」、左端にある大きな建物は「長崎市営須浜住宅」です。
須浜住宅は海に面し、弧を描いたモダンな構造になっています。為石漁港も隣接しています。
為石漁港を通過し、川原本村の海岸です。
明治期、西彼杵郡の群域は長崎市の大部分、諫早市の一部、西海市の全域をカバーする広い範囲でした。
現在、西彼杵郡は長与町、時津町のみが単独で行政を行っています。
次はお隣りの川原海水浴場です。
2024年08月21日 17:24
撮影日:2024(R6).08.08
『個人的におすすめのビーチ』
今日は「千々町の海岸」です。
Googleマップでは海岸になんの表記もありませんが、Yahoo地図では「千々海水浴場」と表示されています。記憶の中で「海水浴場」と呼んでいたことは間違っていなかったようです。桟敷等の施設があったかは定かではありませんが・・・。
入江には2か所の消波ブロックが設置されています。野母崎方向。
砂と石が混ざり合った浜になっています。茂木方向。
振り返ると「猿岳」、山容がいいですね。
猿岳は秋葉山とも呼ばれ、岩崖の上には猿田彦大明神や秋葉権現が祭られた信仰の山です。
千々川が流れ込んでいます。
海岸線に沿って道路が延びているので行ってみます!
大物が狙えそうな地磯が広がっています。
穴釣りも楽しめそうです。地磯の先には砂浜が見えます。
細かな粒のきれいな砂浜が広がっています。
行き止まりから振り返ります。
訪れる人も少なくプライベートビーチ的な感じで楽しめそうですね。
千々町の扇状地は広く、まとまった集落が形成されています。
次回は為石海岸へと続きます。
『個人的におすすめのビーチ』
今日は「千々町の海岸」です。
Googleマップでは海岸になんの表記もありませんが、Yahoo地図では「千々海水浴場」と表示されています。記憶の中で「海水浴場」と呼んでいたことは間違っていなかったようです。桟敷等の施設があったかは定かではありませんが・・・。
入江には2か所の消波ブロックが設置されています。野母崎方向。
砂と石が混ざり合った浜になっています。茂木方向。
振り返ると「猿岳」、山容がいいですね。
猿岳は秋葉山とも呼ばれ、岩崖の上には猿田彦大明神や秋葉権現が祭られた信仰の山です。
千々川が流れ込んでいます。
海岸線に沿って道路が延びているので行ってみます!
大物が狙えそうな地磯が広がっています。
穴釣りも楽しめそうです。地磯の先には砂浜が見えます。
細かな粒のきれいな砂浜が広がっています。
行き止まりから振り返ります。
訪れる人も少なくプライベートビーチ的な感じで楽しめそうですね。
千々町の扇状地は広く、まとまった集落が形成されています。
次回は為石海岸へと続きます。