2007年08月25日 19:30
船員が誰一人居なくなって30数年、船は沖で静かに停泊している。
これからどこへ向かって進んでいくのだろうか・・・。
軍艦島(正式名・端島)は良質な強粘炭が取れ、隣接する高島炭鉱とともに、日本の近代化を支えてきた炭鉱の一つであった。石炭出炭量が最盛期を迎えた1941年には約41万tを出炭。人口が最盛期を迎えた1960年には5,267人の人口がおり、人口密度は世界一を誇り東京特別区部の9倍以上に達した。炭鉱施設・住宅のほか、学校・店舗・病院・寺院・映画館・理髪店などもあり、島内において完結した都市機能を有していた。石油へのエネルギー政策の転換により1974年1月15日閉山。同年4月20日までに島民は全員離島する。
野母崎半島 権現山展望台より
左から「端島」「中ノ島」「高島」。
中ノ島に炭鉱があったことはあまり知られていない。また、公園として整備されたこともあった。中ノ島の近くを通ることがあれば、崩れたレンガの炭鉱遺構や公園遺構が確認できます。
これからどこへ向かって進んでいくのだろうか・・・。
野母崎半島 権現山展望台より
左から「端島」「中ノ島」「高島」。
中ノ島に炭鉱があったことはあまり知られていない。また、公園として整備されたこともあった。中ノ島の近くを通ることがあれば、崩れたレンガの炭鉱遺構や公園遺構が確認できます。