香焼炭鉱・香焼町関連

2010年11月02日

撮影日:2009(H21).11

「昨日の出来事のようでもあり、遠い昔のようにも感じる・・・。」

暦は11月、秋が深まるなかでいろんなイベントが各地で行われています。
ちょっとネット検索するだけで、「ハーレーフェスティバル」「唐津くんち」「佐賀バルーンフェスティバル」等々・・・。
週末の暇つぶしには事欠かないようです。

aboap


夜な夜な溜まりに溜まった写真データを DVDにバックアップしています。
ついついデータを覗いてしまうので、一向にはかどりません。

去年の11月は・・・?
安保アパートの解体が始まった月でした。

ついこないだ!と言っても9月末ですが、伊王島と香焼を繋ぐ「伊王島大橋(仮称)」の橋げたが全て架かったと騒いでいたことを思うと、アパートの解体なんてずっと昔の出来事のようにも感じられます。

そろそろ香焼にも出かけてみようかな・・・。





chibitaro0102 at 20:45コメント(4)トラックバック(0) 

2010年02月28日

撮影:2009(H21).02.01
撮影:2010(H22).02.21

『半世紀を越える役割を終えて・・・』

ちょうど一年前も、安保には春を想わせる柔らかな陽射しと、心地よい風が吹いていました。

でも、ただ一つ、去年と大きく違っていたのは、大好きな安保アパートの風景が、ファインダーの中から消えていたことでした。

20100221

さすがに築50年を越え、建物の老朽化も進んでいたと思いますが、昨年は入居されている方もあり、洗濯物が風に揺れ、部屋の中からは子供の声や、テレビの音が漏れ聞こえていました。

春にはポピーやチューリップなど色鮮やかな花が咲き、夏は焼けるような陽射しの中でキラキラ輝く海を眺め、冬は荒涼とした大地に冷たい風を感じる。
そんな風景の中にある安保アパートが、私はとても好きでした。

炭鉱が閉山しても、多くの人達の生活を守り続けた「安保アパート」。
本当にご苦労さまでした。

20090201


安保アパートの歴史に敬意を表し、香焼炭鉱の年表に加筆しておきます。

1700年(元禄13)  農民の副業として始まる
1830年(天保初年) 深堀の鍛冶用炭として専業小営業が始まる
1834年(天保5)    塩田用の需要増により武士支配
1861年(文久1)    藩営化が現れ「御上山」
1874年(M7)       深堀村 峯真興が安保に香焼炭鉱社開業
1883年(M16)      峯真興から東京の島田慶助に香焼炭鉱の所有が移る。
1894年(M27)      島田慶助から小出辰造、松尾福三郎に所有が移る。
                横島鉱区を三菱合資会社買収し開発
1897年(M30)      川島長五郎ら3名共同の「川田社」設立
1899年(M32)      大阪舎密株式会社(大阪ガスの前身)、香焼炭鉱買収。
1902年(M35)      横島炭鉱廃鉱
1904年(M37)      香焼炭鉱廃鉱(陸上炭の採掘終了)、操業停止
                川田社により採掘跡の残柱採掘
1907年(M40)      大阪舎密による海岸地区ボーリング(三菱に委託)調査
1909年(M42)      香焼炭鉱操業再開、海底の7尺層に着炭
1918年(T 7)       大阪舎密㈱横島掘進
1922年(T11)      香焼炭鉱横島4尺層に着炭
1924年(T13)      香焼炭鉱休止
1926年(T15)      香焼炭鉱中止
1938年(S13)      川南工業香焼炭鉱鉱業権買収、香焼炭鉱再開
1950年(S25)      川南鉱業部川南鉱山㈱と改称
1951年(S26)      川南鉱業㈱香焼鉱業と改称(九州採炭系となり字竹崎に新鉱開発)
1954年(S29)      字竹崎の新鉱(第3坑)着炭
1955年(S30)      安保坑閉鎖(第1・2坑)
1959年(S34)      香焼炭鉱ビルド鉱指定
1960年(S35)    香焼炭鉱最盛期(中層アパート、病院、劇場建設、安保海岸埋立)
1964年(S39)      香焼炭鉱閉山
2010年(H22)       香焼炭鉱安保アパート解体 

abo

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chibitaro0102 at 09:38コメント(12)トラックバック(0) 

2009年12月12日

『消えゆく香焼炭鉱の遺産』


今日は、現存する(正しくは、すでに解体が始まった)安保アパートの位置関係を確認したいと思います。

写真は、1974(S49)年に撮影された航空写真(国土交通省)を拡大したものです。
香焼炭鉱の閉山が1964(S39)なので、10年後の安保地区の様子です。

黄色の斜線部分以外、安保・恵里地区に建つ家々は、殆どが香焼炭鉱が造ったアパートです。
RCアパート群が建てられ始めたのが、炭鉱最盛期の昭和30年代始めであり、記録によると昭和35年に中層アパート、病院、劇場が建てられたとあります。
よって、わずか4年後の閉山時には、まだまだ新しい建物が多数残っていたということです。

現状を示すと、赤字で印を付けた建物を除き、すでに当時の住宅は残っていません。
今は市営団地や、戸建ての閑静な住宅地となっています。

今回解体が始まった、現存していた安保アパートに、S1~17の棟番号を付しました。
文字が小さく見づらいことをお許し願います。

S1棟の前には、コの字形の大きな建物が見えます。
元々は、鉱業所の管理棟関係ではなかったのでしょうか・・・。

左下、海岸線堤防に沿って建つ家は、平屋の長屋だったことを記憶しています。

恵里地区に、唯一、「9」の表示をしたアパートが現存していましたが、今回の工事に併せてこちらも解体が行われているようです。
道路沿いから見えていた建物の姿はなく、重機の音が響いていました。

「9」の右下に印だけをつけている建物は、平屋の戸建であることを 山神社調査時に確認しています。
石垣には立派に成長した竜舌蘭があり、当時は高級職員の住居ではなかったかと、勝手に想像しています。

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今回の安保アパート解体工事で、安保地区に残存した香焼炭鉱の関連施設(住宅)は、すべて消えてしまうことになります。

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chibitaro0102 at 00:01コメント(15)トラックバック(0) 

2009年12月09日

撮影日:2009(H21).12.06

『すべて蜃気楼だったのかもしれない・・・』

7日は二十四節気の1つ、「大雪」でした。
テレビニュースは、五島方面で沖合の島が海面から浮き上がったように見える、「浮き島」の現象を伝えていました。

「浮き島」とは、気温より海水温の方が高くなると、海面上に出来る空気の層がレンズの役目を果たし、この層で光が屈折して遠くの島や岬などが浮き上がって見える現象で、「蜃気楼」の一種です。

この「浮き島」、私も前回の「安保アパート」を見終わった後、ぼんやり沖を眺めていた時に気づき、写真を撮っていました・・・。

巨大風車のある島は、高島(下二子島)。
その左手に丸い「浮き島」
ukisima1


右側の大きな島影は「中ノ島」。
「中ノ島」の左稜線に重なるように写るのが、「端島(軍艦島)」。
「端島」の左に、幾つもの「浮き島」が見えるが、どこの島か、岩礁か分からない。
その場には、存在しない島影。
ukisima2


炭鉱と共に変化し続けてきた「端島」「中ノ島」「高島」「香焼島」。
人も建物も、現れては消えていくその様を、はかない姿の「浮き島」に重ね、しばらく眺めていました。

写真を撮ったことも忘れるくらいに、ぼんやりと・・・。



chibitaro0102 at 18:15コメント(4)トラックバック(0) 

2009年12月07日

撮影:2009(H21).12.06

『消えゆく香焼炭鉱の遺産』

拙いこのブログのカテゴリトップにある、「香焼炭鉱・香焼町関連」。


私自身が香焼に住んでいたわけでも、親戚が居るわけでもない町。


遠い昔、父に連れられて行った記憶が、今でも鮮明に残る不思議な場所。


ただ、記憶の中にあるこの場所は、なぜか寒く、うす暗く、荒涼としている。

abo1


端島(軍艦島)が特に注目を浴びる今、近代化の日本、長崎を支えた香焼炭鉱を私は忘れない。


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chibitaro0102 at 21:41コメント(6)トラックバック(0) 
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