戦争遺構

2012年05月30日

撮影日:2012(H24).05.19

『訪れる者もなく、語られることもない。若き兵士達の声が聞こえる場所』

今回の遺構調査で最も確認したかったものは、島の海岸沿いに掘られた「震洋」の格納庫でした。

牧島の部隊にも50艇ほどの「震洋」が配置されているので、その数だけ格納庫は存在したはずです。

震洋攻撃隊7


ただ、戦後70年という時の流れ、まして樹勢が大きいこの時期に木々の奥にある遺構を見つけることは、とても困難に思えました。

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chibitaro0102 at 06:00コメント(2)トラックバック(0) 

2012年05月28日

撮影日:2012(H24).05.19

『謎の石積みと係船柱・・・。』

前回のコンクリート水槽までは足場の悪い急な斜面を下りる必要があり、これ以上近づくことは止めました。
一度、林の入り口まで引き返し、緩やかな斜面を選んで海岸に下り「震洋基地」の遺構を探すことにしました。

どうにか海岸にたどり着くと、転がる石には牡蠣がびっしり付き、緑が海まで押し寄せるような風景です。何となく激戦のあった南方アジアにでも遺構調査に来ているような感じがします。

「震洋」のなれの果てを想わせるような、小型船が朽ち果て沈んでいます。
震洋攻撃隊3


「震洋」は一人乗りの1型と、後に二人乗りの5型が造られました。
どちらも全長約5m、幅約約1.7m、トヨタ製の自動車エンジンを一人乗りは1基、二人乗りは2基装備し、船首部に250kg爆弾を装着して敵艦めがけて体当たりするという特攻兵器でした。
震洋攻撃隊6


この周辺の海岸線には、低い石積みが至る所に見られます。
場所から想像するに、島の農業や漁業のために造られたものではなく(造る必要性を感じない)、震洋基地が設置される際に何らかの目的で築かれたように思われますが、真偽のほどは分かりません。
季節的にも草木が生い茂り、藪の中に分け入ってまで遺構を探す気にはなれず、少し海岸線に沿って歩くことにしました。
震洋攻撃隊4


満潮なら歩いて進めないような岩場の途中に、古い係船柱がありました。
石とコンクリートを混ぜて造った係船柱。戦争当時の構築物にはこのような造りのものが多く存在します。
係船柱に残るロープの残骸は、養殖業のいかだを繋いでいた今のものでしょう。
震洋攻撃隊5


当時、訓練時の震洋や軍関係の船を繋いでいたと思える係船柱。

この周囲も木々に覆われていますが、近くに別な遺構が隠れていることを予感させるものでした。

つづく・・・。



chibitaro0102 at 20:00コメント(0)トラックバック(0) 

2012年05月24日

撮影日:2012(H24).05.19

『飛行機乗りに憧れた少年達は、橘湾の小島に集められた』

日本は太平洋戦争末期、悪化する戦況を打破するため、奇襲戦を目的とした特別攻撃隊を計画します。
通称、特攻隊・特攻などと呼ばれるものです。奇襲というより体当たり攻撃と言ったほうが分かりやすいでしょうか・・・。
空から戦闘機で敵艦に突入する神風特別攻撃隊、海中から魚雷を操作し敵艦に突入する回天特別攻撃隊がよく知られるところですが、ベニヤ製の小型モーターボートに爆弾を積んで敵艦に体当たりする、「震洋特別攻撃隊」と呼ばれる部隊もありました。

零戦など戦闘機の生産が底をつく中、構造が簡単で大量生産が可能であった「震洋」は、三菱長崎造船所をはじめとして各海軍工廠、民間造船所で特攻の切り札として、終戦までに約6,200艇が建造されたと言われています。

震洋の乗員は、本来戦闘機に乗るはずであった多くの若い航空要員によって編成されました。
彼らは主に長崎県川棚と鹿児島県江の浦の水雷学校分校で育成が行われ、その後、国内外の基地に配属されることとなります。
終戦間近には本土決戦を想定し、敵の輸送船と上陸用舟艇を攻撃目標とした基地が日本各地の沿岸に作られました。
その基地の一つが長崎市牧島にもあったのです。

震洋攻撃隊1


牧島に「震洋特別攻撃隊基地」が在ったことは聞いていましたが、魚釣りには出かけても基地跡を確認したことはなかったので今回現地調査をしてきました。

場所見当はついていましたが、農作業をされていたご老人に「震洋基地」のことを尋ねると次のようなお話を伺うことができました。

・若い兵隊さんが何十人もいた。
・三角屋根の兵舎が10以上建っていた。三角屋根は珍しいのでよく覚えている。
・船が何十艘もいたが、自分は子供だったので何をやっているのかまでは知らなかった。
・海岸の崖沿いに船を収める穴が何十も掘られていた。
・土質の崖に穴を掘っただけなので、今は殆どが崩れ埋もれていると思う。
・そちら(格納庫のあった)の海岸には、釣り人もあまり行かないので道がない。注意しなさい。

震洋攻撃隊2


腐葉土が積もり、足下が滑りやすい林の中を歩き始めたものの、海岸を目前にして傾斜がどんどんきつくなっていきます。
このルートは止めようと思い、ふと崖下を覗くとコンクリート製の水槽が目に入りました。
飲用なのか、エンジンなど機械試験のための水槽なのか判断できませんが、緑に覆われた空間にあたかも時が止まったかのように現れた遺構は、震洋特別攻撃隊が使用していたものだと確信できる存在感がありました。




chibitaro0102 at 19:32コメント(2)トラックバック(0) 

2012年03月31日

『5つの橋を渡ると北緯33度0分』

崎戸へ行くと言っても、長崎側からは大島大橋と寺島大橋を渡って造船所の見える町が「大島」。
さらに西に進んで中戸大橋と崎戸橋を渡ると、製塩工場や崎戸炭鉱の遺構がある「蛎浦島(かきのうらしま)」。
さらに進んで本郷大橋を渡ると、ホテル咲都がある「崎戸島」。
ホテル咲都の目前にあって、干潮の時は歩いて上陸できる島が「御床島」。
5つの橋を渡らないと崎戸島にはたどり着きません。

崎戸島の最西端、ホテル咲都から見えるのは「北緯33度展望台」。
展望台の右側にある四角い建物は、旧日本海軍の「崎戸島特設見張所聴音所」の遺構。
sakito8


展望所からは五島列島や西彼杵半島、平戸の景色が一望できます。
水平線に沈む夕陽を眺める絶好のポイントでもあるようです。

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chibitaro0102 at 23:00コメント(0)トラックバック(0) 

2011年08月11日

撮影日:2011(H23).08.09

『たいまつ行列と被爆マリア像』

昼間の式典が終わり、平和公園を訪れる人も少なくなった19時過ぎ、カトリック信徒約1000人による平和を祈念するたいまつ行列が浦上天主堂を目指して歩き始めます。

行列の先頭で聖座に乗せられているのは、、原爆によって全壊した旧浦上天主堂の瓦礫の中から奇跡的に発見された「無原罪の聖母像」の頭部です。
taimatu3

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chibitaro0102 at 01:00コメント(6)トラックバック(0) 
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