近代化遺産・産業遺産

2020年04月13日 00:30

撮影日:2019(H31).04.08

『陸の孤島を結ぶ夢の架け橋』

春の陽気に誘われてあちこちさるき回りたいところですが、職場からは県外への外出、また県外からの来訪者との接触禁止という緊急事態宣言が出ているので、目新しい出来事がありません。
そこでこれまで撮りためた写真から、ブログにアップしていないものを選んで更新しようと思います。
撮影時期が大きく前後したり、撮影時と現在では状況が様変わりしていたり、もう無くなっているものがあるかも知れませんがその点はご容赦願います。
写真はクリックすると拡大します。

今日は「西海橋・新西海橋」です。
昨年(2019年)の写真です。大勢の人が花見を楽しみ、駐車場が空くのを待つ車列が並んでいる風景がありました。来年は花見ができないような情勢になるとは誰も思っていなかったでしょうね。

新西海橋は2006年3月に開通。全長620m、西海パールラインの一部であるため車の通行は有料ですが、車道下に人道があり人の往来は無料です。人道の足元にはのぞき窓があり、うず潮や高所感を楽しむことができます。
s-A89A3019


右上には針尾送信所の3本の無線塔が見えますね。
今も渦潮見物の遊覧船はあるのでしょうか?
s-A89A3026


右の赤い橋は「西海橋」。.
4年の歳月と高度な建築技術により1955年10月に竣工。東洋一、世界三番目の長さを誇っていました。
s-A89A3030


今は無料で通行できますが、1970年までは有料でした。
子供の頃、橋が無料開放される深夜帯まで駐車場で待機していた記憶があります。
s-A89A3038


二本も橋が必要なのかは少し微妙ですけどね。
s-A89A3042


以前、県外の知人を「西海橋」に連れてきたことがあります。
知人は「西海橋」を「再会橋」と思っていたと言っていました。言葉のイメージからは「再会」ということになるんでしょうね。
今年はコロナウイルスの影響で今まで当たり前だったことができなくなっています。
来年はみんなが元気に再会できるよう、今は各自感染予防に取り組むしかありませんね。


2019年06月26日 12:00

撮影日:2019(R1).06.23

『世界に羽ばたく園児の成長を見守る銀色の翼』

前回、琴海地区ペーロン大会に向かう車中で、「あっ!ここにあった!!」と思わず叫んでしまったもの。
DH-104-1


それは旧長崎水族館に展示されていた1957年デ・ハビラント社製双発レシプロ小型旅客機DH-104。
水族館閉館後は琴海町の空き地に移設され、静かに余生を送っていると思っていた懐かしの飛行機。
DH104-2


今年2月、本ブログに「現在解体中、移設され新たな姿を見せてくれると思います。よかった~」とのコメントを頂いてます。
私自身もどこに行くのかなぁと思っていましたが、かつての雄姿はこども園の広い園庭で夕日に照らされ輝いていました。本当によかった~!!
DH104-3


以前このDH-104紹介した際には、『波静かな大村湾を見つめ、朽ちてゆく翼』などと大変失礼なコメントを入れてしまい大変申し訳ございません。
過去記事 → ここをクリック

昭和50年(1975年)の旧長崎水族館空中写真(国土地理院より引用)
赤丸に本機が写っています。私は13歳か・・・。
S50


こども園では飛行機の改修整備を計画されているとのこと。
旧長崎水族館に思い出がある者として、僅かでも何かお役に立てることがあればなぁと思いますね。

今回の移設を紹介した記事がありました → 長崎経済新聞




2018年09月10日 22:47

撮影日:2018(H30).09.09

『干潮の時に現れる近代土木遺産』

若津港は江戸時代に久留米藩により築かれ、米や麦、大分・日田からの木材積出港として栄えた。
筑後川は河口に近づくと幅が広く、流れがゆったりとなる。さらに有明海の干満の差は約6メートルと大きい。
このような条件から川底には土砂が堆積しやすくなり、船の出入りを妨げることとなる。
resize0131


明治期になり船が大型化すると堆積物の問題がより大きくなった。そこで当時の政府(内務省)は灌漑・干拓の土木技術に優れたオランダより技術者ヨハネス・デ・レーケを招聘、解決策として導流堤の建設を決定した。
導流堤の構造を簡単に言うと、川の中央部に石組みの堤防を築くことにより川を分割、川幅を狭めることにより流れを速め土砂を押し流そうとするものである。resize0130


遠く雲仙岳を望む6.5キロにわたる美しい石組みの堤防は、明治23年(1890年)に完成、「若津港導流堤」または「デ・レーケ導流堤」と呼ばれ市民に親しまれる近代土木遺産である。
明治30年代には多くの貨客船が神戸大阪航路、東京航路、鹿児島航路に就航する有明海経済圏の最盛期を迎えた。
resize0132


現在、若津港に大型船の姿はないが、有明海で漁を行う船がひっきりなしに行き来するのを見ることができる。
船はすべて川の東側を航行している。築100年を経過した現在もその役割を果たし、東側は水深が深く、西側は土砂が堆積していることを大潮の日ははっきりと確認することができた。


2017年06月24日 09:29

撮影日:2017(H29).03.25

『堰堤の左右・中央、表情の異なる石積が生み出す水の流れ』

3月までの4年間、あっという間の別府暮らしでした。
もう25年も転勤生活をしていますが、大分は暮らしやすく、楽しく、興味を抱くものが沢山あった場所でした。
そんな大分で3度も訪れたのが、「白水溜池堰堤」です。
白水堰堤溜池2


今回の異動が決まった際、白水堰堤は必ず再訪しようと思い3月25日に訪れました。
白水溜池は農業用水の安定確保を目的に造られ、水面は周りの山々や、雲を映し出し鏡のようです。
白水堰堤溜池1


右岸は武者返しのような石積みで水流が抑制されます。
白水延滞溜池4


左岸は階段状の造りを下りていきます。
転波と呼ばれる水流模様、ゴォーっと響く水音。
白水堰堤溜池3


白水堰堤の近くには入り組んだ水路や円形分水、水路橋などがあり、灌漑にかけた先人の知恵と苦労を学ぶことができます。

個人的には、次倉側から白水堰堤を訪れ、堰堤上部から全体を見渡せるアクセスを選んだ方が良いと思いますよ。

今日の写真はクリックすると大きくなります、転波を見て下さいね!

白水堰堤 → 1回目訪問(クリック)
白水堰堤 → 2回目訪問(クリック)


2017年03月08日 21:00

撮影日:2013(H25).04.07

『塔博士 内藤多仲が手掛けたタワー6兄弟の三男坊』

別府タワーは塔博士、耐震構造の父と呼ばれる内藤多仲(ないとうたちゅう)早大名誉教授の設計により、1957年(昭和32年)5月10日に完成した。高さは90m。

別府タワー1


内藤多仲氏が手掛けた名古屋テレビ塔(1954年)・大阪通天閣(1956年)・別府タワー(1957年)・さっぽろテレビ塔(1957年)・東京タワー(1958年)・博多ポートタワー(1964年)は、タワー6兄弟と呼ばれている。

続きを読む

最新コメント
月別アーカイブ
記事検索
プロフィール

ちび太郎

QRコード
QRコード
ランキング
人気ブログランキングへ

にほんブログ村 地域生活(街) 九州ブログ 長崎県情報へ
にほんブログ村

・本HPの写真・図等の転載・転用等は禁止しております。

・メールでの連絡は下記へどうぞ! 
chibisaruku@yahoo.co.jp



  • ライブドアブログ