近代化遺産・産業遺産

2015年01月18日

『世界遺産になると何が変わるのだろう・・・』

2015軍艦島


現在、日本の世界遺産は以下18件

 ・知床(北海道)
 ・白神山地(青森、秋田)
 ・平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群(岩手)
 ・日光の社寺(栃木)
 ・富岡製糸場と絹産業遺産群(群馬)
 ・小笠原諸島(東京)
 ・富士山-信仰の対象と芸術の源泉(静岡、山梨)
 ・白川郷・五箇山の合掌造り集落(岐阜、富山)
 ・古都京都の文化財(京都)
 ・古都奈良の文化財(奈良)
 ・法隆寺地域の仏教建造物(奈良)
 ・紀伊山地の霊場と参詣道(和歌山、奈良、三重)
 ・姫路城(兵庫)
 ・石見銀山遺跡とその文化的景観(島根)
 ・原爆ドーム(広島)
 ・厳島神社(広島)
 ・屋久島(鹿児島)
 ・琉球王国のグスク及び関連遺産群(沖縄)

世界遺産への登録待ち物件(暫定リスト記載)は、軍艦島(端島)が含まれる「九州・山口の近代化産業遺産群」など11件。

「九州・山口の近代化産業遺産群」を構成する自治体は、福岡県,佐賀県,長崎県,熊本県,鹿児島県,山口県,岩手県,静岡県,北九州市,大牟田市,中間市,佐賀市,長崎市,荒尾市,宇城市,鹿児島市,萩市,釜石市,伊豆の国市・・・。
それぞれどんな遺産があるのか分かりづらいところですが、いづれにせよ今年6月開催の世界遺産員会で登録の可否が審議されます。

軍艦島の進路はいずこへ


chibitaro0102 at 22:27コメント(2)トラックバック(0) 

2014年09月01日

撮影日:2014(H26).07.20
撮影日:2008(H20).09.14

『日本初から世界へ。池島で培われた日本の技術力』

炭鉱施設やアパート群と同様に必ず紹介される旧発電所。
目の前で朽ちていく巨大施設に圧倒されますが、この発電所は池島が近代的炭鉱(ビルド鉱)として歩み始めた1966年に完成、最大出力8,000kwの性能を有しました。
池島発電所


また発電時に生じる排熱を利用し、海水から真水を造りだす淡水化装置が併せて導入されました。
日本初の陸上用海水淡水化装置(能力2,650トン/日)によって、水資源を持たない離島における飲料水が確保されたのです。
淡水化装置は、写真中央部のコンクリ―ト基礎部分が残る位置に設置されていました。
装置の姿はこちらをご覧ください → 三井松島グループ100年史
池島淡水化1


淡水化装置を納品したのは㈱ササクラ(旧社名:㈱笹倉機械製作所)。
㈱ササクラの会社沿革によると、1966年(昭和41年)9月 松島炭鉱池島鉱業所へわが国初の陸上用海水淡水化装置(2,650トン/日)を納入、1967年(昭和42年)1月クウェート国政府から当時世界最大の海水淡水化プラント(36,400トン/日)を受注とあります。
その後も中東各国へ淡水化装置を納入し、ササクラは世界有数の水処理技術を有する企業へと成長し今日に至っています。
(写真は炭鉱施設内に残されていた名板・2008年撮影)
池島淡水化2


海水を淡水化する方法は主に2通りあり、ざっくり言えば池島で採用された海水を熱し蒸発させて真水にする「多段フラッシュ式」と、特殊な膜に海水を通し塩分を除去する「逆浸透式」に分けられます。
多段フラッシュ式は、石炭による熱エネルギーが大いに利用できる池島ならでは採用だったのです。
池島淡水化3


日本の西の果て、炭鉱で栄えた小さな島。
朽ちていく建物だけではなく、世界に誇る日本の技術が生まれたことも、記憶に残すべきものではないでしょうか。

※1枚目の写真のみ2014年撮影

chibitaro0102 at 23:22コメント(2)トラックバック(0) 

2014年08月01日

撮影日:2014(H26).07.20

『バス停の名前に残された歴史の頁』

多くの人が暮らし、島外からの出入りも多かった時代、池島にも市街地を走るような大型バスが運行されていました。
今はコミュニティバス(ワゴン車)が島内を巡回しています。
「変電所前」
変電所前1


運行は「池の口」と「神社下」の停留所を基点として、桟橋、郷東、変電所前、鉱業所前、新店街通り、公住入口、グランド前を朝6時半から夕方6時半頃まで、日に34便が周回しています。現在、これらバス停を利用する方がどれほどいるのか気になるところですが、コミュニティバスはバス停以外でも乗り降りが自由であり、島で暮らす人や池島に遊びに来た人にとっては唯一の交通機関として、その役割を果たしているのではないでしょうか。
「鉱業所前」
鉱業所


ところでバス停の名前については特に法的な規制があるわけでもなく、運行事業者が乗客の利便性を考慮し、周辺の目印となるものや、昔からの土地の呼び名など、誰もが分かり安い名前を付けるようです。
でも中には歴史的な背景を知らないと、一見何の事やら、どこを指すのか分からないバス停があったりします。
「グランド前」
グランド前


私が子供の頃に住んでいた長崎の日見地区には、網場バス停と水族館前バス停の間に「泣き河原」というバス停がありました(今は総科大前に変更されています)。
泣き河原(なきがわら)という意味が分からず、いつも不思議な名前のバス停だなぁと思っていましたが、その理由が分かったときにはすでにバス停の名前は変わっていました。
「泣き河原」と呼ばれていた理由は、江戸時代(1800年頃)に旅の商人がこの河原の近くで盗賊に刺殺され、妻と娘が後を追って自殺したという悲しい物語があったということです。
「神社下」
神社下1


また、目印が消えた後もバス停にその名を残しているものがあります。
たとえば大村にはかつて九州電力大村火力発電所があり、最寄りのバス停は「発電所前」でした。
2006年火力発電所は解体撤去され更地となりましたが、「発電所前」のバス停は残っていました。
現在、火力発電所跡は太陽光のメガソーラー発電所となり、再びバス停と発電所が繋がることになりました。
このように同じ呼び名の建物が復活するというのは稀なケースだと思いますけどね。
「神社下」
神社下


池島のバス停の殆どは、炭鉱の発展と共に生まれたものの名前が付けられました。
その炭鉱が使命を終え、多くの人が島を去りました。
将来、老朽化する建物がどうなっていくのか、バスの運行がずっと存続できるものかは分かりません。
それでも要所要所にぽつんと立つバス停は、賑やかだったころから、静かになってしまった島の風景をこれからも見続けてくれるのではないでしょうか。
「公住入口」
公住入口


次回は池島で出会っためずらしいやつの話をしたいと思います。

chibitaro0102 at 02:00コメント(0)トラックバック(0) 

2014年07月26日

撮影日:2014(H26).07.20

『6年ぶりに訪れた島の風景』

神の浦(こうのうら)から地域連絡船「進栄丸」で池島へ。
所要時間15分。
池島港1


1952年(昭和27)池島炭鉱の開発着手。
1959年(昭和34)出炭開始。高層アパートの建設ラッシュ
1970年(昭和45)島の人口は最大の7,770人となる。
2014年6月末現在、世帯数138・総数212(男125・女87)。
港周辺のアパートが何棟も消えていた。
池島港2


最盛期の1985年には150万トンを越える採炭達成。
1998年電力自由化。安価な海外炭との競争には勝てず2001年11月、池島炭鉱閉山。
池島港3


炭鉱施設の風景は大きく変わっていないように見えたのだが・・・。
2年前の台風による建物の損傷大。
池島港4


蝉の声だけが聞こえる静かな島。
池島港5


池島炭鉱体験ツアーで島を訪れたのが2008年9月、もう6年も経ってます。
→ 体験ツアーの記事
炭鉱閉山からは13年、そう遠い昔でもない感じがします。
過ぎた時間を短く感じたり、長く感じたり、人それぞれ何を基準に推し量るかで感覚に違いがあるものです。
僅か4時間程度の島歩きの風景をしばらく報告したいと思います。


chibitaro0102 at 09:11コメント(2)トラックバック(0) 

2013年12月24日

撮影日:2013(H25).12.07

『大正浪漫の建物、大理石の階段に輝く月・星・雲』

旧別府市公会堂(現・別府市中央公民館)は、1924(大正13)年に別府が市制に移行したことを記念し、1928(昭和3)年に竣工しました。
大分で最も古い鉄筋コンクリート建築と言われています。
設計者は東京中央郵便局など数多くの傑作を残した逓信省営繕課の吉田鉄郎。

別府市公会堂


建物の紹介はまた後日に・・・。

素敵なクリスマスをお過ごし下さい!





chibitaro0102 at 23:10コメント(2)トラックバック(0) 
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