2018年10月15日

年番町(長崎市炉粕町)

撮影日:2018(H30).10.07

『くんちの歴史を学ぶことも重要です』

諏訪神社の踊馬場下でくんち見物をしている時に見つけた「明治四十一年 年番町 寄附 櫻町・小川町・内中町・西上町・八百屋町・勝山町・恵比須町・紺屋町・炉粕町・伊勢町・波平町」の11町名が刻まれた石板。
ちょっと気になったので調べてみました。

M41・年番町


「年番町とは」
踊町をつとめて、4年後にくんち全般のお世話をするのが年番町。
年番町はその年の祭事全般の段取を整え、また、御神輿のお供をする。
年番町は事情があって踊町としては出場出来ない町も参加するので、踊町の町数より多くなる。

「年番町(踊町)区域の変遷」
明治時代に入り、旧市内80か町のうち、数か町が再編になった(今紺屋町・中紺屋町→紺屋町、今鍛冶屋町・出来鍛冶屋町→鍛冶屋町など)。減少した町の数を補うために、浪平町(明治41年)、小曽根町(明治39年)など、現在年番町の区域でない町内が年番町を務めた記録がある。
その証拠として、諏訪神社踊馬場下の祓戸神社脇の石塀寄付に町名が記されている。


上記説明は、くんち塾フォーラムHP(http://kunchi-juku.com/forum/index.php?FrontPage)より引用させて頂きました。

このことから石壁寄附の11町は明治41年に年番町、踊町としては明治37年に参加ということになります。
では、明治37年の踊町がこの11町であったか調べてみると、参加は丸山町(道囃子)、桜町(傘鉾のみ)、内中町(傘鉾のみ)、西上町(兵隊行列)、八百屋町(小狐行列)、勝山町(傘鉾のみ)、恵美須町(傘鉾のみ)、紺屋町(傘鉾のみ)、炉粕町(傘鉾のみ)、伊勢町(傘鉾のみ)、小川町は辞退という結果でした(くんち塾HPデータベースより)。
丸山町は踊町として参加しているが年番町は務めず、小川町、波平町は年番町のみ務めたことになります。また、日露戦争のためにお下り・お上りが11月7日、11月9日に行われたようです。
1904年(明治37年)・1905年(明治38年)は、日露戦争のため通常の踊りは奉納されず、傘鉾だけであったり、兵隊行列という戦時下を反映したくんちが開催されたようです。

おくんちの歴史を調べると町の変遷やその時代背景など、新たな発見もあり興味が尽きません。

chibitaro0102 at 11:32コメント(0)旅行・ドライブ・イベント  

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