2015年09月08日 21:48

旧野首教会・その1(長崎県北松浦郡小値賀町野崎郷野首)

撮影日:2015(H27).08.31

『今も丘の上から祈りの声が聞こえる』

ユネスコの世界遺産暫定リストに登録された「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」。
現在、構成資産は14箇所。今回、そのひとつである旧野首教会を訪ねました。
野首教会5


旧野首教会がある野崎島に行くには、まず佐世保からフェリーで小値賀島へ渡り、さらに町営船で約25分の船旅が必要となります。
町営船の運航は日に2便しかなく、フェリーや高速船との乗り継ぎが上手く出来ないため、同じ長崎県内でありながらゆっくり散策するには2泊3日の行程が必要となります。私も小」値賀と野崎島でそれぞれ一泊しました。



野崎島の面積は7.10平方キロメートル。長崎の伊王島と比較すると3.2倍ほどの大きさです。
結構大きな島と言えますが平地は少なく、現在は(平成13年以降)無人島になっています。
正確に言えば町営船定期運行のため、野崎島自然学塾村(NPO法人おぢかアイランドツーリズム協会)の管理者1名が住民登録されています。
野首教会2


野崎島にもかつては、野崎・野首・舟森という3つの集落があり、昭和30年代には650人ほどの住民が暮らしていたそうです。
野首教会3


野首教会の歴史を簡単に記します。

・江戸時代後期に外海から移住した潜伏キリシタンが集落(野首・舟森)を形成。
・急な斜面を開墾し、信仰を支えに自給自足の生活。
・1865年、大浦天主堂における信徒発見の喜びと更なる迫害の始まり。
・1873(明治6)年キリスト教禁制の高札撤去。わずか17戸の信者たちによる本格的な教会建築計画。質素倹約、労働を惜しまず建築資金を捻出する日々。
・1908(明治41)年教会建築の名工、鉄川与助が初めて手がけたレンガ造りの本格的教会が完成。
・日本の高度経済成長に伴いもたらされた人口流出。1971(昭和46)年、舟森集落に続き野首集落の集団離村。廃村となり荒れ果てる教会。
・1985(昭和60)年、小値賀町が重要文化財として全面改修。
・1989(平成1)年、長崎県指定有形文化財となる。
・2007(平成19)年、ユネスコの世界遺産候補「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の構成資産となる。


教会の下にある施設は旧野崎小中学校を活用し、宿泊や休憩ができる「野崎島自然学塾村」です。
この夜は管理人さんと私の二人きり。テレビもなく携帯も繋がりにくい島の中、風と雨、虫の声を聞きながらゆっくり夜の時間を楽しみました。
野首教会7


かつては教会を中心に家が建ち、畑が広がっていましたが、現在教会周辺に建物は残っていません。
瓦や陶器の欠片が散らばり、ここに人の暮らしがあったことを知ることができます。
このミシンで母は家族の服を縫い、傷んではまた補修していたのでしょうね・・・。
野首教会4


土地が荒れ放題になっていないのは、約500頭の野生鹿が下草を食べているからです。
野首教会6


私個人的には時が止まった風景というよりも、移り変わる自然と時の中で今も祈りの声が聞こえてくるような感覚でした。

次回は教会内部のご報告!

野首教会や野崎島については、下記のホームページをご覧頂いた方がより分かり易いと思います!

おらしょ こころ旅  旧野首教会→ こちらをクリック

おぢか島旅 野崎島のこと → こちらをクリック

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