2014年08月01日

池島 2014 その2・バス停(長崎市池島町)

撮影日:2014(H26).07.20

『バス停の名前に残された歴史の頁』

多くの人が暮らし、島外からの出入りも多かった時代、池島にも市街地を走るような大型バスが運行されていました。
今はコミュニティバス(ワゴン車)が島内を巡回しています。
「変電所前」
変電所前1


運行は「池の口」と「神社下」の停留所を基点として、桟橋、郷東、変電所前、鉱業所前、新店街通り、公住入口、グランド前を朝6時半から夕方6時半頃まで、日に34便が周回しています。現在、これらバス停を利用する方がどれほどいるのか気になるところですが、コミュニティバスはバス停以外でも乗り降りが自由であり、島で暮らす人や池島に遊びに来た人にとっては唯一の交通機関として、その役割を果たしているのではないでしょうか。
「鉱業所前」
鉱業所


ところでバス停の名前については特に法的な規制があるわけでもなく、運行事業者が乗客の利便性を考慮し、周辺の目印となるものや、昔からの土地の呼び名など、誰もが分かり安い名前を付けるようです。
でも中には歴史的な背景を知らないと、一見何の事やら、どこを指すのか分からないバス停があったりします。
「グランド前」
グランド前


私が子供の頃に住んでいた長崎の日見地区には、網場バス停と水族館前バス停の間に「泣き河原」というバス停がありました(今は総科大前に変更されています)。
泣き河原(なきがわら)という意味が分からず、いつも不思議な名前のバス停だなぁと思っていましたが、その理由が分かったときにはすでにバス停の名前は変わっていました。
「泣き河原」と呼ばれていた理由は、江戸時代(1800年頃)に旅の商人がこの河原の近くで盗賊に刺殺され、妻と娘が後を追って自殺したという悲しい物語があったということです。
「神社下」
神社下1


また、目印が消えた後もバス停にその名を残しているものがあります。
たとえば大村にはかつて九州電力大村火力発電所があり、最寄りのバス停は「発電所前」でした。
2006年火力発電所は解体撤去され更地となりましたが、「発電所前」のバス停は残っていました。
現在、火力発電所跡は太陽光のメガソーラー発電所となり、再びバス停と発電所が繋がることになりました。
このように同じ呼び名の建物が復活するというのは稀なケースだと思いますけどね。
「神社下」
神社下


池島のバス停の殆どは、炭鉱の発展と共に生まれたものの名前が付けられました。
その炭鉱が使命を終え、多くの人が島を去りました。
将来、老朽化する建物がどうなっていくのか、バスの運行がずっと存続できるものかは分かりません。
それでも要所要所にぽつんと立つバス停は、賑やかだったころから、静かになってしまった島の風景をこれからも見続けてくれるのではないでしょうか。
「公住入口」
公住入口


次回は池島で出会っためずらしいやつの話をしたいと思います。

chibitaro0102 at 02:00コメント(0)トラックバック(0)炭鉱関連 | 近代化遺産・産業遺産 

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