2014年02月09日 23:07

昭和の台所(長崎市香焼町・安保アパート)

撮影日:2009(H21).12.06

『今は消えた「人造大理石研ぎ出し」、略して人研ぎ(じんとぎ)の流し台』

解体途中(2009年)の香焼炭鉱安保アパートの写真から、昭和の生活や炭住アパートの構造を覗いてみました。
安保AP1


今は戸建、アパート・マンションに関わらず殆どの家のシンク(流し台)はステンレス製です。
ステンレス製シンクの量産が始まったのは1955年(昭和30)年、今から60年前のことです。
翌年からステンレスのシンクは公団団地の指定商品となり、急速に全国へ広まっていきました。
安保アパートも昭和30年代に建てられらものですが、まだステンレスシンクの採用は間に合わなかったようです。
安保AP2


ステンレス製シンクが登場する以前は建築用語で「人造大理石研ぎ出し」、略して「人研ぎ(じんとぎ)」と呼ばれる流し台でした。
もちろん今のシステムキッチンと呼ばれるような、調理スペースや収納キャビネット、コンロが一体となったものが生まれる前のことです。
それでも安保アパートの人研ぎ流し台を見ると、浅型と深型のシンク、コンロ設置台、引き出し収納など使い勝手に配慮した造りになっています。
安保AP4


その後日本では、ステンレス製シンクの普及に伴いシステムキッチンが誕生し、シンクはその一部となります。
更に台所と食事をする居間が別々であったライフスタイルが、調理と食事や団欒するスペースを併せ持つダイニンキッチン(DK)、リビングダイニングキッチン(LDK)へと変わっていきます。現在、DK・LDKは間取りを表す規格として呼ばれるようになりました。

ブロック造り2F建ての安保アパート、よく見るとトイレも水洗化されており長崎市内より早く下水道が普及していたようです。
安保AP3


炭鉱は危険と隣り合わせの過酷な労働でしたが、暮らしの中には新しい技術が多数採り入れられていたようです。

今も学校や公園では人研ぎの手洗い場を見ることができますが、需要は減ってしまい人研ぎを施工できる左官職人が居なくなっているそうです。
機械が便利な物を大量に生産した結果、人の技術を淘汰していくのは残念な気もしますね。


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コメント一覧

10. Posted by ちび太郎   2014年03月30日 15:50
じゅんさま

香焼に限らず、40年前の地磯では底を泳ぐ魚影が見えたものです。
まき餌も砂とアミを混ぜるだけ、シンプルな釣り方でも大物が釣れていましたね。
9. Posted by じゅん   2014年03月22日 14:13
海岸で(^^)親父と魚引きに行ってた思い出ありますよ
8. Posted by ちび太郎   2014年03月17日 00:25
じゅん様
コメントありがとうございます。
S44頃と言えば、もう40数年前の事ですね。
私は親父に連れられて、朝まづめの釣りに安保の海岸に行っていた頃でしょうか。
懐かしく見て頂けて良かったです。
なかなか更新ができていませんが、また気が向いたら覗いて下さい。
7. Posted by ちび太郎   2014年03月17日 00:08
photowindthoughtさま
人研ぎの台所、今見ると斬新な感じがします。
キッチンの進化は、日本のライスタイルを大きく変えた最大の要因でしょうね。
6. Posted by ちび太郎   2014年03月16日 23:55
poiyoさま

こんばんは。
戸建でもアパートでも、人それぞれの暮らしと思い出が詰まっていますね。
時々私も、昔住んでいた家がどうなっているのか気になる時があります。
立ち寄ることは簡単なのですが、そっと記憶にとどめていた方が良いような気もしてなかなか足が向きませんね。
安保のアパートが消えて5年になろうとしています。月日の経つのは早いものですね。
5. Posted by ちび太郎   2014年03月16日 23:21
hiroさま
長崎市内でさえ下水道が普及するには随分時間がかかっています。
それに比べ香焼の炭鉱アパートは早くに下水道が整備されていたんですね。
日本の近代化を支えた炭鉱町には、どこよりも早く暮らしの中に新しい技術が投入されていたんでしょうね。
あまり見かけない汲み取り式トイレ、やっぱり今でも怖い感じがします。
4. Posted by じゅん   2014年03月01日 14:15
5 懐かしく見ました。S43~44年頃に住んでました(^^)
3. Posted by photowindthought   2014年02月11日 17:05
なんか懐かしい台所だと感じます。
幼少の頃の我が家も確かこんな感じの
流しだったような・・・。
内側はタイル張りだったような記憶があります。
2. Posted by poiyo   2014年02月11日 09:41
このアパートの近くに仕事で週2回くらい通った事があったのでよく覚えています。
長く取り壊されていませんでしたね。
ここに以前住んでいたおばあさんが、柿の木の実はどうなったのかと心配してました。
子供が小さい頃、柿の木を植えたそうです。

炭鉱住宅はその頃の新しい技術の詰まったものだったんですね。
その頃から水洗トイレ(@_@;)?!
うちもトイレが怖かった~(笑)
1. Posted by hiro   2014年02月11日 02:36
5 Sアパート、懐かしいですね。同級生が住んでたのでよく遊びに行ってました。Sアパートもその上のRC 4階建の団地も当時、既に水洗トイレだったので羨ましかった記憶があります。私の家は9号アパートの近くに平屋の建物が10件ほどあったうちの一番高台にありました。眺めは最高だったんですけどね。でもトイレが怖かった~!

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