2013年05月23日

宇佐海軍航空隊跡・城井掩体壕群(大分県宇佐市城井)

撮影日:2013(H25).05.19

『帰ることのない81機、154名の特攻隊員が飛び立った地』

のどかな田畑の中を真っ直ぐ延びるこの道路は、かつて幅80m、長さ1800mを有する宇佐海軍航空隊の滑走路でした。

宇佐航空隊4


宇佐海軍航空隊の設立は昭和14年10月。
その後、昭和16年に太平洋戦争が勃発、昭和20年に連合軍の沖縄上陸が始まると、本土防衛ため特攻隊が編成され多くの若い命が戦場へと飛び立っていきました。





当初、宇佐航空隊は茨城の霞ヶ浦などの航空隊で基本的な飛行訓練を終えた兵士たちが、実戦の戦闘機に搭乗し訓練の仕上げを行うことが目的でした。
全国から若い兵隊が集まり、ここでの訓練を終え昭和16年の真珠湾攻撃に参加した兵隊もいました。

周辺には、航空隊があった証として10基の掩体壕が残っています。
掩体壕とは敵の攻撃から飛行機を守るための格納庫です
宇佐航空隊1


宇佐航空隊の歴史と平和を祈念するために市が土地を購入し、史跡公園に整備した「城井1号掩体壕」。宇佐航空隊3


内部には国東沖から引き揚げられたゼロ戦のエンジン部分が、慰霊の気持ちを込め展示されています。宇佐航空隊2



掩体壕の周囲には鎮魂の石碑が立てられ、当時の関係者や戦没者家族の想いが刻まれていました。
「空蝉や翔ちし命を思ひやる」、「弟の征きて帰らず春田鋤く」
宇佐航空隊5


宇佐海軍航空隊より神風特別攻撃隊として出撃し、亡くなられた154名の隊員の方々の名が刻まれています。
出身は北海道から鹿児島まで、私の故郷長崎出身の方も複数おられました。
宇佐航空隊7


掩体壕の多くは倉庫等に転用され、静かに時の流れを刻んでいます。宇佐航空隊6


宇佐航空隊からは5回の特攻出撃が行われ、81機、隊員154名の尊い命が失われました。  
宇佐から出撃した飛行機は99式艦上爆撃機、97式艦上攻撃機が多く、この飛行機は2~3名が乗り込んでいたため犠牲者の数が増える結果となりました。

点在する掩体壕、特攻隊が飛び立った滑走路跡、命を捧げた若き隊員たち。
改めて平和の尊さを考えさせられた訪問となりました。
 
長崎に残る掩体壕 → こちら

chibitaro0102 at 23:00コメント(2)トラックバック(0)戦争遺構  

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コメント一覧

2. Posted by ちび太郎   2013年06月04日 18:32
poiyoさま

もう少し戦争が続いていたら、自分も特攻になるはずだったという話はよく聞きますね。
戦果があるなしに関係なく、命を捨てることしか選択できなかった悲しい歴史です。
もちろん私も戦争体験者でもありません、知らないからこそ事実を正しく後世に伝える責任があると思います。
1. Posted by poiyo   2013年05月24日 22:03
悲惨な戦争に関することは、ついつい目をそむけてしまいます。
そうしてはいけないとわかっているのに、です。
私の父は、招集されたそうですが、召集直後に戦争は終わりました。
きっと戦争がもう少し長引いていたら、自分も特攻隊に入れられただろうと話してたのを覚えています。

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