2013年05月13日

回天神社・人間魚雷回天基地跡(大分県速見郡日出町)

撮影日:2013(H25).05.04

『天を回らし戦局を逆転させる兵器として生まれた人間魚雷』

戦局の悪化に伴い兵器庫に眠っていた「九三式酸素魚雷」を改造し、兵士が自ら操縦して敵艦に体当たりする特攻兵器とした生まれ変わった「人間魚雷回天」。

大神回天基地1


回天の訓練基地として山口県の大津島、光、平生、そして大分県の大神(おおが)に基地が配置されました。



当初より回天は①旋回半径が大きい、②後進(バック)が出来ない、③安全潜航深度が80mであり、母艦(潜水艦)の深度に及ばず母艦の行動に支障を生じる、④脱出装置が無い等々問題点が指摘されますが、①②に関しては九三式魚雷を改造使用するため止むを得ない、③安全潜航問題は根本から設計のやり直しを必要とし、現下の戦局には対応できない、④脱出装置は大型化し運動性能に影響が生じ、戦場で脱出できたとしても救出する方法はなく、搭乗員は出撃に際し必要としない等の論争の末、昭和19年8月、出撃は死を意味する特攻兵器として採用が決定します。

回天は終戦まで28回出撃しましたが、正確な戦果は確認できていません。
この作戦での戦没者は104名とされ、その他回天整備員、回天搭載潜水艦の乗組員など合計1299名が亡くなっています。回天搭乗員の平均年齢は20.8歳、多くの若い命が失われました。


元々、回天神社は基地本部庁舎にあり、終戦後残務処理で残った隊員たちによって現在の住吉神社境内に建てられたトタン葺の社殿に遷され、その後浄財を集め社殿を改築し現在に至っています。
大神回天基地3


回天神社社殿前には1/3大の回天模型と、九三式魚雷の実物機関部分が奉納されています。
九三式魚雷の多くは、三菱長崎兵器工場で製造されていました。
大神回天基地2


社殿内には回天で出撃する兵士の写真や絵が納められています。
国を守るため、家族を守るために自ら特攻を志願した若人の姿があります。
大神回天基地4


今も周辺には回天基地の遺構が点在しています。酸素圧縮ポンプ室跡
大神回天基地6


大きく強固に造られた変電所跡
大神回天基地5


内部は迷路のように掘り込まれた各科倉庫壕跡
大神回天基地7


平成15年に植苗された長崎被爆楠二世、しっかりと根付いているようです。
大神回天基地8


多くの若人の犠牲があって今日の平和がある。改めて考えさせられた回天神社訪問でした。





chibitaro0102 at 21:55コメント(2)トラックバック(0)戦争遺構  

トラックバックURL

コメント一覧

2. Posted by ちび太郎   2013年06月04日 18:23
はやぶさ様

お久しぶりです。
ちゃんとご挨拶もせず転勤してしまい、申し訳ありませんでした。
大分生活まだまだ慣れないことも多いのですが、ぼちぼちやっています。
時々長崎が恋しくなりますが、はやぶさ様をはじめ皆さんのHPを見ながら楽しませてもらっていますね。
被爆楠がまさかこんな場所にあるとは思ってもいませんでした。
特攻で亡くなった多くの方々や、平和の尊さを伝えるシンボルとして大きく枝を広げて欲しいものです。
1. Posted by はやぶさ   2013年05月19日 11:16
お久しぶりです。すっかり大分での暮らしに慣れられ、大分編が始まりましたね!これから楽しみにしています。
こんなところにも被爆楠が来ていたのですね・・・

コメントする

名前
URL
 
  絵文字
 
 
最新コメント
月別アーカイブ
記事検索
livedoor プロフィール
QRコード
QRコード
ランキング
人気ブログランキングへ

にほんブログ村 地域生活(街) 九州ブログ 長崎県情報へ
にほんブログ村

・本HPの写真・図等の転載・転用等は禁止しております。

・メールでの連絡は下記へどうぞ! 
chibisaruku@yahoo.co.jp



  • ライブドアブログ