2013年02月23日

引揚第一歩の地 浦頭(佐世保市針尾北町浦頭)

『11歳の少年の目に映ったものは何だったのか・・・。』

1945(S20)年の敗戦時、海外に残された日本人は約660万人(軍人・軍属350万人・一般人310万人)以上と言われています。

敗戦による終戦、居場所を失った日本人は追われるように着の身着のまま引揚船と呼ばれる貨物船に乗せられ、横浜、浦賀、舞鶴、呉、仙崎、下関、門司、博多、佐世保(浦頭)、鹿児島など指定された引揚港に帰ってきます。

浦頭2


このうち佐世保(浦頭)と博多には、ともに引揚港の中では最も多い約140万人の方が戻ってこられます。
シベリアなどへ抑留された方々を最後まで受け入れた舞鶴港が約70万人弱ですから、いかに多くの方々がをこの浦頭から祖国の第一歩踏み出されたことか・・・。
「浦頭引揚記念資料館展示写真より」
浦頭5


今では港周辺も整備され、当時と変わらないものは遠くの山並みと岸壁の石積みや階段くらいでしょうか。
浦頭3


亡き親父が生まれたのは昭和9年、出生地は関東州大連市早苗町。
生まれて11歳まで過ごした大連、引揚に関わる出来事、初めて目にする日本の風景・・・。
もっと親父から話を聞いておくべきでした。
浦頭4


終戦時海外にいた660万人のうち、引揚ることができた数は約630万人と言われています。
祖国に帰ることができず亡くなった方、現地に留まるしかなかった方々が大勢います。
栄養失調に疫病、抑留と強制労働、差別・・・。現代では想像もできない世界が存在します。
明るい親父でしたが引き揚げの話はしませんでした。話したくない、話せない真実があったのだと思います。
今、隣国と言い争いのような状況になっていますが、二度とこの悲しい歴史をくり返すような行為は行ってはいけません。


chibitaro0102 at 19:47コメント(0)トラックバック(0)史跡 | 戦争遺構 

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