2012年12月08日

佐世保無線電信所(佐世保市針尾中町)

『圧倒的な存在感で、今は平和を送信する3本の塔』

大村市松原町の海岸から直線距離にして約20km、大村湾の入り口「針尾」に立つ3本の塔。
空気の澄んだ日であれば、天に伸びる巨大な姿をはっきりと視認することができる。

日露戦争において通信の重要性を認識した旧日本海軍は、日本周辺の通信網を整備するため千葉、台湾、佐世保の三箇所に無線局建設を計画した。

1915(大正4)年に「船橋無線電信所」が完成、次ぎに「鳳山無線電信所(台湾高雄県)」が完成。そして最後に1918(大正7)年11月に着工、1922(大正11)年の期間を要し「佐世保無線電信所」が完成した。
hario1


1941(昭和16)年12月8日、71年前の今日は日本軍がハワイ真珠湾を奇襲し、その後3年9カ月に及ぶ太平洋戦争に突入した日である。
(こちらは野岳方角から眺めた写真)
hario3


開戦前の12月2日、作戦開始暗号「ニイタカヤマノボレ一二〇八」を機動部隊に発信したのが「佐世保電信所」と言われているが、現在は瀬戸内海に停泊する連合艦隊旗艦「長門」が暗号文を打電、呉通信隊を経由して「船橋電信所」が真珠湾攻撃部隊へ発信したと言われている。

日本側は奇襲成功暗号「トラ・トラ・トラ」、米側は「リメンバー パールハーバー」を合言葉に、この後長い戦いへの道を歩んでいく。
hario2


当時、遠距離無線通信には長波が有用であると考えられ、高さが135mある鉄筋コンクリートの巨塔が立ち上がった。
塔の高さ、完成度、さらには90年の歳月を経ても劣化することがない美しい姿を見ると、当時の海軍技術者の能力、建築技術の高さがよく分かる。
佐世保広報1


今は長波や短波の仕組みを知らなくても、ありとあらゆる情報が手のひらの携帯端末からでも取り出せる時代。
情報が多いほど、どれが正しいものであるか判断し、考える能力が必要な時代になっている。
広報させぼ2


佐世保無線電信所は、「針尾(無線)送信所」と呼ばれ紹介されることが多いようですが、当時の海軍省資料には「佐世保無線電信所」と記述されています。

最後の2枚の写真は、佐世保市の「広報させぼ・平成21年度2月号」より。→ 広報佐世保HPへ

個人的な感想ですが「広報させぼ」の表紙は、他市の広報誌より「開いて見てみよう!」という感覚になりますね。

chibitaro0102 at 13:15コメント(2)トラックバック(0)近代化遺産・産業遺産 | 戦争遺構 

トラックバックURL

コメント一覧

2. Posted by ちび太郎   2012年12月12日 01:33
poiyoさま

3つの塔は間近でみるとより大きさを感じることができます。
ファインダーの中に入りきれませんよ。
今は各市の広報がHP上で見ることができる便利な時代となりました。
将来を担う子供の写真が表紙を多く飾っているものが多いようですが、じっくり読むような興味が湧いてきませんね。
大事な内容が書かれているんですけどね。
佐世保の広報は表紙の感じが他誌とちょっと違って、見開いてみようという気になります。
1. Posted by poiyo   2012年12月08日 23:39
佐世保から長崎に帰る途中、西海橋経由だと
この塔を見る事が出来ますね。
大抵東そのき経由で帰るので、最近はあまり見てませんが。
通るたび歴史を身近に感じます。
「広報させぼ」の表紙、気になりますね~。
今度から手に入れて見てみます。
長崎の広報は、中を見る気にはなりません(-_-;)
最近見たのはいつかしら…それじゃ行けないんだけど。

コメントする

名前
 
  絵文字
 
 
最新コメント
月別アーカイブ
記事検索
プロフィール

ちび太郎

QRコード
QRコード
ランキング
人気ブログランキングへ

にほんブログ村 地域生活(街) 九州ブログ 長崎県情報へ
にほんブログ村

・本HPの写真・図等の転載・転用等は禁止しております。

・メールでの連絡は下記へどうぞ! 
chibisaruku@yahoo.co.jp



  • ライブドアブログ