2012年05月30日

震洋特別攻撃隊基地・最終編(長崎市牧島町)

撮影日:2012(H24).05.19

『訪れる者もなく、語られることもない。若き兵士達の声が聞こえる場所』

今回の遺構調査で最も確認したかったものは、島の海岸沿いに掘られた「震洋」の格納庫でした。

牧島の部隊にも50艇ほどの「震洋」が配置されているので、その数だけ格納庫は存在したはずです。

震洋攻撃隊7


ただ、戦後70年という時の流れ、まして樹勢が大きいこの時期に木々の奥にある遺構を見つけることは、とても困難に思えました。



前回の「係船柱」が在った場所との位置関係です。
「係船柱」の先から、写真手前側に向かって海岸線を歩いています。
この場所にも石積みがあります。緑の中に分け入れば、何らかの発見があるような気はするのですが・・・。
震洋攻撃隊8


1枚目の写真からも分かるように、ひときわ大きな樹が何かを守るかのように根を張り、枝を伸ばしています。
震洋攻撃隊13


樹に誘われような感じで思い切って藪の中に入ってみると、崖は案外近くにあり、じっと目を凝らすと何か穴が空いている部分に気が付きました。
震洋攻撃隊9


これこそが特攻艇「震洋」の格納庫です。
島のご老人が話して下さったように、崖の崩落によって入り口部分には土砂が大量に堆積しています。
震洋攻撃隊10


奥行きは3mもない感じです。「震洋」の大きさが5m程度ですから、元の大きさの半分以上が崩れてしまったということでしょうか・・・。
軟弱な地盤を手堀りで、特に補強することもなく急造した格納庫。まだ形が残っていただけでも良かったと思うしかありません。
震洋攻撃隊11


「震洋」という名前の由来は太平洋を震撼させる、つまり世界の度肝を抜くような戦果を挙げるといった意味でしたが、「震洋」を含め特攻兵器と呼ばれたものは、連合軍に大きな損害を与えることなく終戦を迎えます。
震洋攻撃隊12


「震洋」は終戦までに約6,200艇が造られ、約2,500名の方々が戦死されています。
戦死された方の多くは、各基地隊へ移動する際に潜水艦や攻撃機の標的となり、または地上戦に巻き込まれて亡くなった方が多かったようです。
牧島にあった震洋基地は、橘湾から進行し本土上陸を狙う連合軍を想定していたため、実際に敵艦に向かって突撃することなく終戦となります。

「特攻作戦は無意味だった。人間の考えることではない。・・・」などという結果だけを捉えた意見は間違っていないと思いますが、戦闘機の操縦士になって命を捨てる覚悟だった若者達が、薄っぺらいベニヤの船に失望しながらも国や家族のために死ぬことを受け入れていた事実、二度とこのような悲しい出来事を繰り返さないためにも私たちが語り継いでゆくことが大切だと思います。

NHK・戦争証言アーカイブスで震洋の体験談を見ることができます → NHKのHPへ

chibitaro0102 at 06:00コメント(2)トラックバック(0)戦争遺構  

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コメント一覧

2. Posted by ちび太郎   2012年07月08日 06:28
teesさま

こちらこそご無沙汰しております。

牧島は釣り人が多く集まる戸ケ瀬方面は道も整備されすぐ辿り着きますが、この場所は思った以上に遠回りするか、林の中を迷いながら進んで海岸に着く感じですね。
まだまだ格納壕跡はあるようですが、藪に覆われ存在すら忘れ去られているようですね。

ご質問の湾内ないある鉄柱は養殖関係のもので、震洋基地とは関係ありません。
以前は鯛の養殖も盛んに行われていましたが、今行われているのは殆どがフグです。
フグと言えば下関を思い浮かべますが、長崎県内で養殖されるフグ全国一の漁獲量。
ちょっとびっくりです。
1. Posted by tees   2012年06月29日 16:34
ちび太郎さん、ご無沙汰してます(汗

この震洋の基地の場所は良く知ってるんで、この海岸まで降りるのは大変だったろうな〜と想像出来ます。
これだけの史跡をこのまま忘れ去ってしまって良いのだろうかと思います。

あと↓に当方がUPしているこの基地の沖にある遺構?も基地の一部なんでしょうか?
http://teephoto.exblog.jp/11315442/
それとも養殖関係かな?

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