2012年05月24日

震洋特別攻撃隊基地・その1(長崎市牧島町)

撮影日:2012(H24).05.19

『飛行機乗りに憧れた少年達は、橘湾の小島に集められた』

日本は太平洋戦争末期、悪化する戦況を打破するため、奇襲戦を目的とした特別攻撃隊を計画します。
通称、特攻隊・特攻などと呼ばれるものです。奇襲というより体当たり攻撃と言ったほうが分かりやすいでしょうか・・・。
空から戦闘機で敵艦に突入する神風特別攻撃隊、海中から魚雷を操作し敵艦に突入する回天特別攻撃隊がよく知られるところですが、ベニヤ製の小型モーターボートに爆弾を積んで敵艦に体当たりする、「震洋特別攻撃隊」と呼ばれる部隊もありました。

零戦など戦闘機の生産が底をつく中、構造が簡単で大量生産が可能であった「震洋」は、三菱長崎造船所をはじめとして各海軍工廠、民間造船所で特攻の切り札として、終戦までに約6,200艇が建造されたと言われています。

震洋の乗員は、本来戦闘機に乗るはずであった多くの若い航空要員によって編成されました。
彼らは主に長崎県川棚と鹿児島県江の浦の水雷学校分校で育成が行われ、その後、国内外の基地に配属されることとなります。
終戦間近には本土決戦を想定し、敵の輸送船と上陸用舟艇を攻撃目標とした基地が日本各地の沿岸に作られました。
その基地の一つが長崎市牧島にもあったのです。

震洋攻撃隊1


牧島に「震洋特別攻撃隊基地」が在ったことは聞いていましたが、魚釣りには出かけても基地跡を確認したことはなかったので今回現地調査をしてきました。

場所見当はついていましたが、農作業をされていたご老人に「震洋基地」のことを尋ねると次のようなお話を伺うことができました。

・若い兵隊さんが何十人もいた。
・三角屋根の兵舎が10以上建っていた。三角屋根は珍しいのでよく覚えている。
・船が何十艘もいたが、自分は子供だったので何をやっているのかまでは知らなかった。
・海岸の崖沿いに船を収める穴が何十も掘られていた。
・土質の崖に穴を掘っただけなので、今は殆どが崩れ埋もれていると思う。
・そちら(格納庫のあった)の海岸には、釣り人もあまり行かないので道がない。注意しなさい。

震洋攻撃隊2


腐葉土が積もり、足下が滑りやすい林の中を歩き始めたものの、海岸を目前にして傾斜がどんどんきつくなっていきます。
このルートは止めようと思い、ふと崖下を覗くとコンクリート製の水槽が目に入りました。
飲用なのか、エンジンなど機械試験のための水槽なのか判断できませんが、緑に覆われた空間にあたかも時が止まったかのように現れた遺構は、震洋特別攻撃隊が使用していたものだと確信できる存在感がありました。




chibitaro0102 at 19:32コメント(2)トラックバック(0)戦争遺構  

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コメント一覧

2. Posted by ちび太郎   2012年06月05日 22:22
kazunoichiさま

こんばんは。
こちらこそご無沙汰しております。
私、相変わらずの内容で気の向くまま更新しております。
たまには埋もれた歴史を掘り起こしに出かけていますが、最近は足腰ガクガクの状態です。
長崎は原爆だけが平和教育の材料に使われますが、身近にも戦争を伝えるものは残っているものです。
貴ブログ、充電完了後の更新を楽しみに待っております。
1. Posted by kazunoichi   2012年05月24日 21:14
お久しぶりです。

特攻隊のように士気もなく、
『テレンパレン』なワタシですが、
いっつも読ませていただいておりますよ。

こういった戦争の遺物が、
身近な所に今もなお存在することにビックリします。

依然として、自分のブログは棚上げ状態です。
ジックリマッタリ、そんな充電しております。

また来ます ( ´ー`)y-~~

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