2011年10月13日 01:00
旧長崎刑務所正門(諫早市野中町)
撮影日:2011(H23).09
『豊臣秀吉まで遡る長崎刑務所の沿革』
旧長崎刑務所(1908年開庁、1992年移転)は、明治の五大監獄(千葉・金沢・奈良・長崎・鹿児島)の一つとされ、国の威信をかけて諫早市に建造されたものでしたが、移転後は放置されることとなり老朽化が著しく進み、また管理・保存することも困難となったため、2007年に正門と管理棟の尖塔を残し解体されました。

その後、残された正門と管理棟の尖塔についても放置されたままでしたが(尖塔部分は途中で解体)、先日立ち寄った際には補強・補修工事もきれいに完了していました。
『豊臣秀吉まで遡る長崎刑務所の沿革』
旧長崎刑務所(1908年開庁、1992年移転)は、明治の五大監獄(千葉・金沢・奈良・長崎・鹿児島)の一つとされ、国の威信をかけて諫早市に建造されたものでしたが、移転後は放置されることとなり老朽化が著しく進み、また管理・保存することも困難となったため、2007年に正門と管理棟の尖塔を残し解体されました。

その後、残された正門と管理棟の尖塔についても放置されたままでしたが(尖塔部分は途中で解体)、先日立ち寄った際には補強・補修工事もきれいに完了していました。
設計者は旧法務省の技師「山下啓次郎」、塀や建物に使用された煉瓦は約690万個。
正門は煉瓦と石材を交互に配列し、軒下には小さなアーチが連続するロンバルト帯で装飾するなど意匠的にも優れた構造となっていました。
補強工事を行うに際し、基礎部がコンクリートで厚く固められ支柱が設置されています。
鋼鉄製の正門と通用の下部は切断され補修・塗装、左右の小屋根の金物も補修されています。

刑務所にはまだお世話になったことがないのでわかりませんが、正門は刑務所内部から外が見える唯一の場所でしょうかね。
今は住宅地に変わっていますが、刑務所が使われていた頃は正門まで並木道があったようです。

昨年12月31日、大雪が降った日の風景。
まだ工事は始まっていません。塀もまだ長く残っています。
雪と監獄、網走刑務所をつい連想しますね。

今年7月2日、足場が掛かり補修保存工事が行われています。

長崎刑務所の沿革は次のとおりです。
天正年間 豊臣秀吉が囚獄を南馬町(長崎市諏訪神社下辺り)に設置
慶長5年 南馬町から桜町に移転
明治7年4月 明治政府は桜町囚獄を長崎本獄と改称
明治9年1月 長崎監獄に改称
明治15年 長崎村片淵郷に移転
明治34年4月 北高来郡諫早村(諫早市野中町)に移転工事着工
明治41年4月 移転開庁
大正11年10月 長崎刑務所に改称
昭和63年4月 移転計画決定
平成元年 9月 諫早市小川町にて移転工事着工
平成2年8月 造成工事完成 建築工事着工
平成4年7月 移転開庁
桜町囚獄の時代には多くのキリシタンが捕らえられ、拷問や処刑が行われた悲しい歴史もあります。
建物が全て解体され、広大な更地にポツンと残る旧長崎刑務所正門。
更地が今後どのように活用されるのか分かりませんが、刑務所跡地では宅地としては買い手が少ないでしょうし、大型商業施設か公共機関が利用するしかすべはないような気がしますが・・・。

過去の旧長崎刑務所の記事は → こちら
こちらも
正門は煉瓦と石材を交互に配列し、軒下には小さなアーチが連続するロンバルト帯で装飾するなど意匠的にも優れた構造となっていました。
補強工事を行うに際し、基礎部がコンクリートで厚く固められ支柱が設置されています。
鋼鉄製の正門と通用の下部は切断され補修・塗装、左右の小屋根の金物も補修されています。

刑務所にはまだお世話になったことがないのでわかりませんが、正門は刑務所内部から外が見える唯一の場所でしょうかね。
今は住宅地に変わっていますが、刑務所が使われていた頃は正門まで並木道があったようです。

昨年12月31日、大雪が降った日の風景。
まだ工事は始まっていません。塀もまだ長く残っています。
雪と監獄、網走刑務所をつい連想しますね。

今年7月2日、足場が掛かり補修保存工事が行われています。

長崎刑務所の沿革は次のとおりです。
天正年間 豊臣秀吉が囚獄を南馬町(長崎市諏訪神社下辺り)に設置
慶長5年 南馬町から桜町に移転
明治7年4月 明治政府は桜町囚獄を長崎本獄と改称
明治9年1月 長崎監獄に改称
明治15年 長崎村片淵郷に移転
明治34年4月 北高来郡諫早村(諫早市野中町)に移転工事着工
明治41年4月 移転開庁
大正11年10月 長崎刑務所に改称
昭和63年4月 移転計画決定
平成元年 9月 諫早市小川町にて移転工事着工
平成2年8月 造成工事完成 建築工事着工
平成4年7月 移転開庁
桜町囚獄の時代には多くのキリシタンが捕らえられ、拷問や処刑が行われた悲しい歴史もあります。
建物が全て解体され、広大な更地にポツンと残る旧長崎刑務所正門。
更地が今後どのように活用されるのか分かりませんが、刑務所跡地では宅地としては買い手が少ないでしょうし、大型商業施設か公共機関が利用するしかすべはないような気がしますが・・・。

過去の旧長崎刑務所の記事は → こちら
こちらも
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コメント一覧
4. Posted by ちび太郎 2011年10月16日 11:22
凪 さま
とりあえず残しました!って感じで正門があります。
更地がどうなるのかわかりませんが、新しい建物ができると、また片隅に移築保存されるような気がします。
トライスターさま
いつもありがとうございます。
解体された刑務所の全体像は、規模も大きく煉瓦造りで重厚かつ美しい形でした。
今はご覧の通り正門と説明板があるのみです。
百聞は一見に如かずと言いますが、期待度は抑え気味でお越しください(笑)。
poiyo さま
今は周囲も宅地化され新しい家が建ち、道路も改修されています。
正門がなければ、ここに明治の五大監獄と言われたものが存在したなんて分からないと思います。
解体される時に使用されていた煉瓦を格安で販売していましたが、どこの場所の煉瓦か分からず、独房の壁の煉瓦?なんて考えると購入する気にはなりませんね。
残された敷地も広すぎて、どう活用すればよいのか決まっていないようです。
いつもコメントありがとうございます。
とりあえず残しました!って感じで正門があります。
更地がどうなるのかわかりませんが、新しい建物ができると、また片隅に移築保存されるような気がします。
トライスターさま
いつもありがとうございます。
解体された刑務所の全体像は、規模も大きく煉瓦造りで重厚かつ美しい形でした。
今はご覧の通り正門と説明板があるのみです。
百聞は一見に如かずと言いますが、期待度は抑え気味でお越しください(笑)。
poiyo さま
今は周囲も宅地化され新しい家が建ち、道路も改修されています。
正門がなければ、ここに明治の五大監獄と言われたものが存在したなんて分からないと思います。
解体される時に使用されていた煉瓦を格安で販売していましたが、どこの場所の煉瓦か分からず、独房の壁の煉瓦?なんて考えると購入する気にはなりませんね。
残された敷地も広すぎて、どう活用すればよいのか決まっていないようです。
いつもコメントありがとうございます。
3. Posted by poiyo 2011年10月15日 00:02
こんばんは。
こんなところにこんなものがあるなんて!長崎生まれといっても、長崎の事ほとんど知らないんです。
ちび太郎さんのブログで驚きの連続。
今度行ってみようと思います。
こんなところにこんなものがあるなんて!長崎生まれといっても、長崎の事ほとんど知らないんです。
ちび太郎さんのブログで驚きの連続。
今度行ってみようと思います。
2. Posted by トライスター 2011年10月14日 21:45
青空に赤茶色のレンガが非常に
お美しいですね~!!
いつか行ってみたい場所なんですよ!!
お美しいですね~!!
いつか行ってみたい場所なんですよ!!
1. Posted by 凪 2011年10月13日 22:18
なんか長崎って歴史的遺産の残し方が下手かも。
正面だけポツねん・・・赤迫の兵器工場トンネルとまったく同じ保存方法。
なんか残された部分が妙に悲しげなんですよね。
正面だけポツねん・・・赤迫の兵器工場トンネルとまったく同じ保存方法。
なんか残された部分が妙に悲しげなんですよね。