2011年08月09日 23:30

66回目の長崎原爆の日(長崎市松山町)・その1

撮影日:2011(H23).08.09

『 Ground zero 』

1945年(昭和20年)8月9日午前11時2分、連合国アメリカの爆撃機B29ボックスカーから投下されたプルトニュウム原子爆弾(ファットマン)が、原爆落下中心地を示す黒御影石の上空約500メートルで爆発。
超高温の熱線、多量の放射線と強い爆風は、この一帯のあらゆるものを破壊し、焼きつくした。
今日まで原爆による死没者の総数は、15万5千人を超える。
爆心地1


原爆落下中心碑の側には、この地より北東に約500メートル離れた丘に建っていた浦上天主堂の壁の一部が移築保存されている。
爆心地2


爆心地3


二度と原爆を使ってはならない。

長崎で生まれた人間として、核兵器廃絶に向かって強い意志を持つこと、行動する責任があることを改めて感じた8月9日。

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コメント一覧

4. Posted by ちび太郎   2011年08月14日 21:46
hirasetu さま

訪問、コメントありがとうございました。

長崎に居る私でさえ、長崎の変貌には驚くものがあります。
老舗、名店と言われるものがどんどん消えています。
私は昔を知っているから寂しい気持ちになりますが、若い人たちの目にはそれほど意識することでもないのかも知れませんね。
グランドホテルでの催し物、それは誰からも一目置かれるものでした。
こちらこそお世話になりましたと、感謝する次第です。
3. Posted by ちび太郎   2011年08月14日 21:31
やまとたける さま

いつもは核兵器廃絶だけを訴える原爆忌が、今年は原発事故の影響もあって再生可能エネルギーへの転換が大きく取り上げられていました。
「人類と核は共存できない」と言われ、一方では核開発が行われ、私たちもその恩恵を受けていた事実。
日本の将来、未来の子供たちに何が大事で、何を守っていくべきか、真剣に議論し方向性を決める時期にあると思います。

2. Posted by hirasetu   2011年08月10日 20:02
はじめまして。私は現在福岡県在中のものです。
2009年9月24日にあなたが搭載されている長崎グランドホテルの金子の孫にあたります。 私も祖母にひ孫と会わせる為にここ10年毎年お盆に長崎にいきます。新地の花火屋さんは私が子どもの頃毎年行っていました。今年も15日から一泊二日でいきます。みなさんのコメントがいい事ばかりコメントされていたので大変嬉しく思いました
搭載ありがとうございました。突然のコメントすいませんでした。
1. Posted by やまとたける   2011年08月10日 10:51
原子力の平和利用が発電。
今回の事故が無ければ、単純にそう考え、疑いもしていませんでした。
電力会社からたびたび発せられていた安全。安全。という言葉。
不測の事態が何も無いなら安全。という事だったのかもしれません。

原子力の危険な本性は変わっていなかったということ。改めて感じさせられる事故でした。
人間の手ではどうも制御不能なパワーを持っているようです。
原子力は過去の教訓として、使用してはならないのです。
代替エネルギーに移行していく時代に来ています。
長崎に生まれたものとして、特に考えさせられる8月9日。長崎原爆祈念日となりました。

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