2010年02月28日

安保アパート解体・3(長崎市香焼町安保)

撮影:2009(H21).02.01
撮影:2010(H22).02.21

『半世紀を越える役割を終えて・・・』

ちょうど一年前も、安保には春を想わせる柔らかな陽射しと、心地よい風が吹いていました。

でも、ただ一つ、去年と大きく違っていたのは、大好きな安保アパートの風景が、ファインダーの中から消えていたことでした。

20100221

さすがに築50年を越え、建物の老朽化も進んでいたと思いますが、昨年は入居されている方もあり、洗濯物が風に揺れ、部屋の中からは子供の声や、テレビの音が漏れ聞こえていました。

春にはポピーやチューリップなど色鮮やかな花が咲き、夏は焼けるような陽射しの中でキラキラ輝く海を眺め、冬は荒涼とした大地に冷たい風を感じる。
そんな風景の中にある安保アパートが、私はとても好きでした。

炭鉱が閉山しても、多くの人達の生活を守り続けた「安保アパート」。
本当にご苦労さまでした。

20090201


安保アパートの歴史に敬意を表し、香焼炭鉱の年表に加筆しておきます。

1700年(元禄13)  農民の副業として始まる
1830年(天保初年) 深堀の鍛冶用炭として専業小営業が始まる
1834年(天保5)    塩田用の需要増により武士支配
1861年(文久1)    藩営化が現れ「御上山」
1874年(M7)       深堀村 峯真興が安保に香焼炭鉱社開業
1883年(M16)      峯真興から東京の島田慶助に香焼炭鉱の所有が移る。
1894年(M27)      島田慶助から小出辰造、松尾福三郎に所有が移る。
                横島鉱区を三菱合資会社買収し開発
1897年(M30)      川島長五郎ら3名共同の「川田社」設立
1899年(M32)      大阪舎密株式会社(大阪ガスの前身)、香焼炭鉱買収。
1902年(M35)      横島炭鉱廃鉱
1904年(M37)      香焼炭鉱廃鉱(陸上炭の採掘終了)、操業停止
                川田社により採掘跡の残柱採掘
1907年(M40)      大阪舎密による海岸地区ボーリング(三菱に委託)調査
1909年(M42)      香焼炭鉱操業再開、海底の7尺層に着炭
1918年(T 7)       大阪舎密㈱横島掘進
1922年(T11)      香焼炭鉱横島4尺層に着炭
1924年(T13)      香焼炭鉱休止
1926年(T15)      香焼炭鉱中止
1938年(S13)      川南工業香焼炭鉱鉱業権買収、香焼炭鉱再開
1950年(S25)      川南鉱業部川南鉱山㈱と改称
1951年(S26)      川南鉱業㈱香焼鉱業と改称(九州採炭系となり字竹崎に新鉱開発)
1954年(S29)      字竹崎の新鉱(第3坑)着炭
1955年(S30)      安保坑閉鎖(第1・2坑)
1959年(S34)      香焼炭鉱ビルド鉱指定
1960年(S35)    香焼炭鉱最盛期(中層アパート、病院、劇場建設、安保海岸埋立)
1964年(S39)      香焼炭鉱閉山
2010年(H22)       香焼炭鉱安保アパート解体 

abo




現存していた安保アパート群はRC造りではなく、耐火ブロック造りです。
正確な建築年は未確認ですが、3坑開発時の海岸平屋社宅と同時期に建てられていること、台所の流し台がステンレス製ではなく、人造石の研ぎ出しで造られていた(解体時確認)ことなどから、昭和30年前後であったと考えます。

入浴は共同浴場へ通っていたため、古写真には外付けの風呂場がありません。
元気に走りまわる子供の姿は、今も昔も団地の風景に欠くことのできないものですね。
abo1

※古写真は香焼町図書館の許可を得て掲載しています。転載・転用等を固く禁止します。



chibitaro0102 at 09:38コメント(12)トラックバック(0)香焼炭鉱・香焼町関連  

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コメント一覧

12. Posted by ちび太郎   2014年03月30日 15:38
じゅんさま

香焼は車で伊王島へ向かう中継地になりましたが、少しは町の活性化に結びついているのでしょうかね・・・。
私も50歳を過ぎ、なつかしい場所に来るとつい親父の事や、子供の頃の記憶を探してしまいます。
11. Posted by じゅん   2014年03月18日 10:08
今度いってみます。懐かしく涙が出ます(T.T)今は亡き、父母を思い出して、今、自分は50歳に成りました(^^)
10. Posted by ちび太郎   2010年03月03日 09:21
團長さま

はじめまして!
コメントありがとうございます。
私自身、香焼に住んでいた事もないので、なかなか情報がありません。
特に香焼炭鉱については、高島・端島などの大資本の元で成長した炭鉱と異なり、詳しい資料が
残っていないようです。

仕事の気分転換も兼ねて、これからも香焼を訪ねようと思っています。
当時の香焼病院、コークス工場など町の様子など、ご教示頂ければ幸いです。
機会があれば、コークス工場のお写真も、拝見させて頂ければと思います。

拙いブログですが、今後ともよろしくお願いします。
9. Posted by ちび太郎   2010年03月03日 08:58
tees さま
来春には伊王島大橋(仮称)が完成します。
昔、炭車が走っていた安保山を 自動車がたくさん通ることになりそうですね。

この場所は、伊王島大橋に至る最終の平地みたいな場所ですから、コンビニとか産直の
野菜屋みたいなものが出来るんじゃないか?と勝手に想像しています。
8. Posted by ちび太郎   2010年03月03日 08:52
tairiku さま
炭鉱が開発され、人が集まり、町ができる。
閉山すれば人が去り、町も消えていく。
鉱業に依存した場所は、どこも同じ運命をたどっているようですね。
人が造った、木造やRCの箱ものは、時間の差異はあっても、やがて元の自然に戻っていくんだと感じます。
それよりも早い時間で、人の記憶からは消えていくようですが・・・。
7. Posted by ちび太郎   2010年03月03日 08:23
凪さま

炭鉱寮があった辺りは、開発業者「テツゲン」の事務所があるくらいで、ずっと更地のままです。

安保アパート、炭鉱寮、中層RCアパートが立ち並んでいた頃は、安保、恵里は輝いていたような
気がしますね。
6. Posted by ちび太郎   2010年03月03日 00:24
サルルさま

こんばんは。
アパートが無くなっても、チューリップの季節にはまた訪れてみようと思っています。

先日訪れた際にも、花壇は手入れがなされ、チューリップの芽がずいぶん大きくなって
いました。
5. Posted by 團長   2010年03月02日 23:36
はじめまして
香焼出身の者です。
近くにある、今はなき香焼病院で母が看護師をしていました、小学生の時によく遊んでいた場所です、懐かしくそして時の流れで悲しくも感じます。
いつも写真を見させていただいています香焼から離れて今は広島に住んでおりますこれからも香焼の写真を撮り続けてください、ちなみに尾ノ上に住んでいたので、職員住宅や鉄の橋、魚見岳はよく知ってます、さらに山下コークスは僕の母方の親戚が営んでいました、香焼の家に行くと山下コークスの写真がたくさんありますよ。
4. Posted by tees   2010年03月01日 17:32
こんにちわ!
とうとう解体されちゃったんですね〜
そこに在ったはずの建物が無くなって、その後に現れた何も無い空間を見ると
とっても切なくなりますね(涙
長崎では雨のなかランタンの撤去作業が始まってます
こちらも切ない気持ちになります(^^;
3. Posted by tairiku   2010年02月28日 22:41
ほんとにきれいに無くなっちゃったんですね。
歴史のある建物がなくなるのは寂しいですが、
これも時代の流れというものでしょうか。
こちらでも以前は炭鉱の町にあった
「炭住」(炭鉱労働者の住まいです)が
今は見られなくなりました。
2. Posted by 凪   2010年02月28日 17:33
あ~なんだかさっぱりしてますね。
大きなマンションでも建てるのかな?
発展ための整地か、過疎ってるのわかりませんね。

白黒写真の団地群の奥の白い建物が炭鉱寮です。
閉山後は造船会社のタコ部屋になります^^;
3階建てだったか4階建てだったか覚えてないですね。
懐かしいな~。


1. Posted by サルル   2010年02月28日 16:53
こんにちは
3枚目の写真 インパクトがあっていいですね。
安保もアパートがないといくらチューリップがあっても物足りなく感じます。今後どうなるんでしょうね。。

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