2021年12月03日 10:00

日鉄鉱業株式会社伊王島鉱業所(長崎市伊王島町・唐船岳山頂)

撮影日:2021(R3).10.23

『リゾートアイランドに炭鉱があったことの証し』

伊王島の隣にある香焼島(今は埋め立てにより本土となる)では、すでに元禄年間の1700年頃農民の勝手掘りにより石炭採掘が始まったとされているが、伊王島では石炭がないと言われ開発が行われることはなかった。

1935年(昭和10年)、当時の日鉄鉱業株式会社嘉穂鉱業所常務の松村茂氏は、伊王島にも石炭はあるとし、沖之島北部「乗越」での試錐で有望な石炭層(海底炭層)を発見した。
試錐は9月開始され、12月に着炭。炭層は9m余りあることが確認された。

1941年(昭和16年)2月11日、地元住民の協力を得て伊王島炭鉱(日鉄鉱業株式会伊王島鉱業所)が開坑される。
最盛期の1962年、島の人口は7,600人に達し、島内には銀行、映画館、商店街、炭鉱住宅が建ち並び、高島・端島(軍艦島)・崎戸島などと同様に石炭の島は活況を呈する。

1950年代、中東・アフリカで大油田が発見され、産業界では石炭から石油へと燃料転換が急速に進むエネルギー革命の時代を迎える。
また、コスト面においても海外の安価な原料炭の輸入が増加し、採炭条件が厳しい国内炭は生産コストが上昇、炭鉱経営は苦境に追い込まれることとなる。
さらに国の石炭鉱業審査会において国内炭の段階的縮小を図る答申が出され、これまで経営を継続していた各地の炭鉱は漸時閉山を迎えることなる。

このような情勢の中、伊王島炭鉱は操業を継続していたが、1965年(昭和40年)には死者30名を出すガス爆発事故もあり、1972年(昭和47年)3月30日閉山。
31年という短い山の歴史にピリオドを打った。

長崎県内の主要な炭鉱の閉山時期
・香焼炭鉱 1964年(昭和39)
・崎戸炭鉱 1968年(昭和43)
・大島炭鉱 1970年(昭和45)
・伊王島炭鉱1972年(昭和47)
・端島炭鉱 1974年(昭和49)
・高島炭鉱 1986年(昭和61)
・池島炭鉱 2001年(平成13)

金刀比羅神社は伊王島の最高峰唐船岳(とうせんだけ・108.6m)山頂にある。
付近の字名を唐船守というところから唐船の出入りを監視する遠見番所があったと考えられる。
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金刀比羅神社の石祠は1973年(S48年5月10日)伊王島炭鉱の閉山に伴い日鉄鉱業(株)伊王島鉱業所と舟津郷氏子によって改修奉納されているが、今は祭祀が行われることもなく荒廃している。
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祠も近づけないほど藪に覆われています。
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石祠に絡みつくツタを取り払う。
「金刀比羅神社改修記念碑」
傍らには三角点。
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「奉納 日鉄鉱業株式会社伊王島鉱業所」
50年の時間を感じさせない存在感
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「記 昭和16年2月11日開坑 昭和47年3月30日閉山」
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「昭和48年5月10日 舟津郷氏子一同建立」
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炭鉱閉山後、伊王島の人口は激減。
島は新たな基幹産業としてリゾート施設を誘致、現在に至ります。
今日は唯一、伊王島に炭鉱があったことの証し、唐船岳山頂金刀比羅神社の石祠のお話でした。
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炭鉱があったころの画像は ⇒ HP「伊王島の歩き方」 をご覧ください。


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