2020年10月07日 00:00
高島周遊 その4・グラバー別邸 北渓井坑跡(長崎市高島町)
撮影日:2020(R2).09.21
『グラバーから岩崎彌太郎へ』
港から約2キロ、本町バス停の海側に「グラバー別邸跡」があります。
長崎の観光地「グラバー邸」で有名な貿易商トーマス・ブレーク・グラバーが、高島炭鉱の開発にあたりこの地に洋風の別邸を建て炭鉱経営の拠点としたところです。
案内板は先日の台風で倒れたようです。
以前は松の木が多くありましたが、今は殆どなくなっていました。


階段や公園部分も荒れ果て、復旧には暫く時間を要すると思われます。
わざわざ立ち寄ってもちょっと残念という感じでしょうか。
『グラバーから岩崎彌太郎へ』
港から約2キロ、本町バス停の海側に「グラバー別邸跡」があります。
長崎の観光地「グラバー邸」で有名な貿易商トーマス・ブレーク・グラバーが、高島炭鉱の開発にあたりこの地に洋風の別邸を建て炭鉱経営の拠点としたところです。
案内板は先日の台風で倒れたようです。
以前は松の木が多くありましたが、今は殆どなくなっていました。


階段や公園部分も荒れ果て、復旧には暫く時間を要すると思われます。
わざわざ立ち寄ってもちょっと残念という感じでしょうか。
本町バス停横には「北渓井坑跡」があります。
高島炭鉱は我が国で初めて外国資本と外国技術が導入された炭坑で、ここ本町に北渓井坑(ほっけいせいこう)と呼ばれる蒸気機関を用いた日本最初の竪坑が造られました。
竪坑は写真の正方形部分です。

北渓井坑は、深さ約43メートル、日産300トンを出炭したといわれています。

高島炭鉱は1881年(明治14年)、岩崎彌太郎の三菱の所有となり1986年(昭和61年)に閉山しました。

三菱による近代的炭鉱として発展し出炭量を増大、日本の近代化、エネルギー源を支えた高島炭鉱。
炭鉱をイメージできる物が少ない中で、ポツンと残る三菱(スリーダイヤ)の境界杭が強く印象に残りました。
高島炭鉱は我が国で初めて外国資本と外国技術が導入された炭坑で、ここ本町に北渓井坑(ほっけいせいこう)と呼ばれる蒸気機関を用いた日本最初の竪坑が造られました。
竪坑は写真の正方形部分です。

北渓井坑は、深さ約43メートル、日産300トンを出炭したといわれています。

高島炭鉱は1881年(明治14年)、岩崎彌太郎の三菱の所有となり1986年(昭和61年)に閉山しました。

三菱による近代的炭鉱として発展し出炭量を増大、日本の近代化、エネルギー源を支えた高島炭鉱。
炭鉱をイメージできる物が少ない中で、ポツンと残る三菱(スリーダイヤ)の境界杭が強く印象に残りました。