2020年10月14日 23:46
撮影日:2020(R2).09.21
『締めくくりは軍艦島!』
高島の連載がちょうど10回目になるので、ひとまず終了しようと思います。
まだアップ出来ていない写真もあるので、次の機会に紹介できたらと思っています。
最後は高島から見る「軍艦島(端島)」です。
あらためて言うまでもなく、端島が軍艦島と呼ばれるのはその外観が軍艦に似ているからです。
「軍艦のように見える」をポイントにすれば、市街の高浜辺りから眺めるのが最も軍艦のように見える場所だと思いますが、個人的には高島から見える軍艦島がお気に入りです。
※写真はクリックすると拡大してご覧いただけます。
「権現山展望所からの軍艦島」
理由は、高島からは軍艦島のもう一つの魅力であるRCアパートや学校など、居住区部分の過密な都市機能が見えるからです。

「権現山展望所からの中ノ島、軍艦島」
中ノ島もかつては炭鉱があり人が居住し、閉山後は公園が整備されるなど様々な変遷がありましたが、今は岩礁と木が茂るどこにでもある島となりました。
並んだ二つの島を見るだけでも、いかに軍艦島が特異なものであるか分かります。

「軍艦島が見える丘からの軍艦島」
夕刻の軍艦島。島の主である灯台に灯が点きました。
左側の70号棟(端島小中学校)と右側の65・67号棟(鉱員社宅)、69号棟(端島病院)では、背後に建物があるかないかで明暗がはっきりしています。
学校屋上部分の崩落が著しいように見えます。ドルフィン桟橋の手前には台座が二つありましたが、一つのように見えます。台風で倒壊したのでしょうか・・・。

「軍艦島が見える丘からの中ノ島、軍艦島」
今回は日没まで粘って撮影しました。
天気が良かったので月がはっきり見えます。

閉山後まもなく半世紀。
かつては不夜城と言われた軍艦島、今日も静かに夜の闇に消えていきます。

プチ島旅、また高島に行ってみようと思っています。
『締めくくりは軍艦島!』
高島の連載がちょうど10回目になるので、ひとまず終了しようと思います。
まだアップ出来ていない写真もあるので、次の機会に紹介できたらと思っています。
最後は高島から見る「軍艦島(端島)」です。
あらためて言うまでもなく、端島が軍艦島と呼ばれるのはその外観が軍艦に似ているからです。
「軍艦のように見える」をポイントにすれば、市街の高浜辺りから眺めるのが最も軍艦のように見える場所だと思いますが、個人的には高島から見える軍艦島がお気に入りです。
※写真はクリックすると拡大してご覧いただけます。
「権現山展望所からの軍艦島」
理由は、高島からは軍艦島のもう一つの魅力であるRCアパートや学校など、居住区部分の過密な都市機能が見えるからです。

「権現山展望所からの中ノ島、軍艦島」
中ノ島もかつては炭鉱があり人が居住し、閉山後は公園が整備されるなど様々な変遷がありましたが、今は岩礁と木が茂るどこにでもある島となりました。
並んだ二つの島を見るだけでも、いかに軍艦島が特異なものであるか分かります。

「軍艦島が見える丘からの軍艦島」
夕刻の軍艦島。島の主である灯台に灯が点きました。
左側の70号棟(端島小中学校)と右側の65・67号棟(鉱員社宅)、69号棟(端島病院)では、背後に建物があるかないかで明暗がはっきりしています。
学校屋上部分の崩落が著しいように見えます。ドルフィン桟橋の手前には台座が二つありましたが、一つのように見えます。台風で倒壊したのでしょうか・・・。

「軍艦島が見える丘からの中ノ島、軍艦島」
今回は日没まで粘って撮影しました。
天気が良かったので月がはっきり見えます。

閉山後まもなく半世紀。
かつては不夜城と言われた軍艦島、今日も静かに夜の闇に消えていきます。

プチ島旅、また高島に行ってみようと思っています。
2020年10月13日 21:00
撮影日:2020(R2).09.21
『ここが石炭の島だった証』
石炭を採掘するための坑道開削や原炭選別時には、石炭としての商品価値がなく捨てるしかない廃石が大量に出る。この廃石を通称ボタ、ズリと呼んでいる。
廃石を地上でどんどん積み上げ出来たものがボタ山である。
高島、端島、池島など島の炭鉱では廃石を地上に積み上げる場所が確保できず、海岸や海中への投棄により処分が行われた(埋め立てのためにも活用された)。

廃石にも石炭が付着しているもが多く、長年風雨にさらされると砕け、小石や砂状となっていく。そして比重が軽い石炭は地表面に堆積する。

人が造った構造物はいかに強固なコンクリート製であってもいつかは崩れ去る。
高島に炭鉱の存在を示すものは無くなったと書いてしまったが、ボタの浜には数億年の時を経て地上にもたらされた石炭の痕跡があり、ここが石炭の島だったことを改めて知ることができる。

写真はクリックすると拡大します。
『ここが石炭の島だった証』
石炭を採掘するための坑道開削や原炭選別時には、石炭としての商品価値がなく捨てるしかない廃石が大量に出る。この廃石を通称ボタ、ズリと呼んでいる。
廃石を地上でどんどん積み上げ出来たものがボタ山である。
高島、端島、池島など島の炭鉱では廃石を地上に積み上げる場所が確保できず、海岸や海中への投棄により処分が行われた(埋め立てのためにも活用された)。

廃石にも石炭が付着しているもが多く、長年風雨にさらされると砕け、小石や砂状となっていく。そして比重が軽い石炭は地表面に堆積する。

人が造った構造物はいかに強固なコンクリート製であってもいつかは崩れ去る。
高島に炭鉱の存在を示すものは無くなったと書いてしまったが、ボタの浜には数億年の時を経て地上にもたらされた石炭の痕跡があり、ここが石炭の島だったことを改めて知ることができる。

写真はクリックすると拡大します。